雑記帳 二〇二四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十五年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇一〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘井堂二〇十五年葉月九日

助けてくれ〜と言いたい猛暑の日々。
けれど、屋外でのドラマの撮影も続く。
ビルの屋上、波止場などでの撮影、容赦なく日差しが照りつけ、熱波に体力を奪われる。
元気に日々を過ごしてはいるけれど、そうはいっても還暦。
昔なら「おじいさん」の年齢だ。
・・・ていうか、おじいさんだ。
過信することなく、けれど、歳は忘れて、動き回り、いろんなことに興味を持っていたい。

先日、刑事ドラマで三浦港でロケがあったが、三浦半島の海岸に屍体があがったという設定。
そしたら、本当に同様の事件があり・・・。
ドラマと現実がシンクロしているように感じることは少なくない。
でも、それは、きっと、そのように見ようとしてしまう、こちら側の問題なのだろう。
ドラマで起こるようなことは、現実でもやまほどあるし、現実の方がもっと突飛に感じられることも少なくない。

「与えられた世界をどのような物語りとして捉え、どのように与えられた役割を生きるのか」
それは、現実であろうとフィクションであろうと変わらずに、どう向き合うかで面白くもつまらなくも感じられるのだろう。
俳優という仕事を通して学んだことのひとつだ。

先日、「第50回中国ブロック写真家連合会」に講師としてお招きいただいた時にも同様のお話をさせていただいた。
写真館の方々や、卒業アルバムなどの製品に関わる業者の方々が中国地方のみならず、九州、四国、関東、大阪などから集まっていらした。
一般家庭で写真機など持てない明治時代から、写真機が小型化し、昭和になって普及するまで、写真館の仕事はなくてはならないものだった。
記念写真、アルバム作り、町の人々が撮ったフイルムの現像、プリント…。
紙に画像が浮かび上がる奇跡を起こす錬金術師といっても良いほどだと思う。
いつしか、誰でも写真を撮ることは容易くなり、奇跡とは感じられなくなり、日常になった。
それは、それで素晴らしいことだと思う。
大切なものを残すことができるのだから。
特に家族の思い出を残すアルバム。
アルバムを作るということは、家族という物語りをどのように捉えているか…ということでもあるのだろう。

写真館は、その物語を形にするプロフェッショナル!!
幸せな物語を願って、写真館に足を運びたいな。

東日本大震災で多くのものが失われた。
土にまみれ残された写真たちは、生き残った人々に何かを託しているような気もする。
人々の思い出は生きるエネルギーにもなるのだろう。
りす写友会の藤本智士さんが届けてくれた「アルバムの力」も是非、読んでいただきたい。

デジタルカメラになり、プリントをすることが少なくなったかもしれない。
それでも、家族のアルバムはプリントしておきたいと思うし、卒業アルバムだって、データディスクやUSBだけを渡されたら、なんだか自分たちの過ごした時間そのものが実体のないものに思えてきそうにもなる。

写真館の存在は、かつてとは受け取られ方が変わってきたかもしれない。 それでも、やはり、プロはプロ!!
お医者さんのように、主治医のように近所に写真屋さんや写真館がないと困る。 困らない?・・・ぜんぶネットで??
町の本屋さんやレコード屋さん、映画館や写真屋さんに育ててもらったなあ〜と10代の頃を振り返る。
テレビもいらないし、映画館も劇場もいらない…PCモニター、スマホがあるからそれでいい???

写真館のご主人たちや写真に携わる人たちの意見交換は、実は僕自身の問題でもあったので、単なるトークゲスト…という意識ではなかった。
答えは正解として出る問題ではないかもしれない。
それでも集った人たちがそれぞれ意見を交わし、交流するなかにいて、幸せだった。
写真館の人たちが好きだ。

やはり写真が好きだった父が他界して15年が経つ。
あれから、実家に残されたアルバム、郷土の写真家、写真に携わる人たちとのつながりのなかから、いろいろな写真の出会いがあった。
雑誌Re:s(りす)の藤本智士さん、植田正治写真記念館 、その学芸員だった故・仲田薫子さん、植田写真館、塩谷定好、塩谷定好写真記念館かげやま写真スタジオの陰山光雅さん、島根県立美術館の蔦谷典子学芸員、前東京都立写真美術館の学芸員で写真評論家の金子隆一さん、飯沢耕太郎さん、安珠さん、平間至さん、平間写真館、テレビ番組で偶然みつけた能登、羽咋市の川島写真館、新潟、新発田の吉原写真館の吉原悠博さん、明治時代から続く吉原写真館のレトロな佇まいやガラス乾板、作品群などから気になって、行ってみたいと思っていた岡山、津山市の江見写真館のご主人には、今回の写真家連合会で念願叶ってお会いすることができた。ほかにも植田正治をリスペクトする人たちが出展した写真展「うえだ好き」を立ち上げた写真家、瀬尾浩司さん…。富士フイルムさんにもお世話になりっぱなし!!六本木の富士フイルムのギャラリーでは写真展も開催させていただいたし、富士フイルムスクエアや「30,000人の写真展」に携わるみなさん、カメラを開発なさっている上野隆さんからも教わることだらけ。リコー、ライカ、フォクトレンダー…カメラやレンズの機種のことも仕事を通して学ぶことが多い。
書き出せば、写真のことでのつながりは果てしない。
Re:sの藤本さんとの出会いは、芥川賞作家の柴崎友香さんを通してだったが、写真が取り持つ縁で「りす写友会」まで結成。
今秋も写真展の予定があるし、俳優の仕事とともに今では写真が大切なものとなっている。

実は半世紀前、「第50回中国ブロック写真家連合会」を立ち上げようと声を上げた人たちのなかに母方の実家、出雲大社の写真館、独立軒の伯父がいた。
小学生の時、夏休みには必ず大社の写真館にあずけられ、稲佐の浜で海水浴したり、時には船遊びで洞窟に出かけ、サザエやウニを食べた。
忘れられない、あの夏の日々の記憶。
フイルムやプリントを洗浄するため、棚田のようになったところに流れ続ける水。 まるで短冊のようにつらされたネガフィルム…職人さんが筆や鉛筆で修正していた姿…。

自分のなかに「写真」の血が濃く流れているのを感じた今回の連合会でもあった。 50年目の特別な1日に、亡き伯父も声をかけてくれたのだろうか?

しかし、半世紀前の出雲は、こんな猛暑じゃなかったような気もするが…^^"

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★出雲での写真家連合会を終え、羽田に向かう上空から臨む富士山。

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橘井堂二〇十五年葉月五日

久しぶりの雑記帳の更新。
それというのも、撮影に追われ、追われ・・・。
放送の始まったNHK BSプレミアム時代劇「一路」の撮影が終わるやいなや、先月は日本テレビ「磁石男」など、2時間ドラマを3本という強行軍!!
今月もWOWOW BS9 連続ドラマW「しんがり」など、ドラマの撮影が毎日続いております。
いろんな役所にお声をかけていただき、嬉しいかぎりではありますが、準備が追いつかないのではないかと、ハラハラドキドキしながら、緊張感いっぱいの、けれど、腹をくくっての日々。
ドラマの撮影以外にも、トークイベントや文学にまつわるテレビ番組の収録などもあり、日々が稲妻のように過ぎていきます。
とはいえ、撮影が早く終わった日には気になるギャラリーに足を運んだり、映画の試写にいったり、合間に読書したり。
忙しい方が、かえっていろいろなものに興味が湧くのかもしれません。
それとも、現実逃避か!?^^”

先日の銀座ヤマハでのトークイベント「音座銀座」音座銀座 第6回目は荒俣宏さんをお迎えし、「憧れのハワイ航路」と題して、ハワイアンミュージックのみならず、ハワイゆかりの音楽を色々と流しながら、日本とハワイの関係を読み解き、日本人のハワイ、熱帯志向を分析。
これまでの音座銀座で扱ってきた、フレンチ、ブラジル音楽好きの日本人の奥底に流れているものが、ハワイと無関係ではないことも読み解かれ・・・流石!!の荒俣節全開!!!で、あっという間の1時間あまりでした。
集英社「kotoba」もそうですが、対談相手をお迎えするにあたり、お相手の関連書物に目を通しているうちに、それが思わぬ形でドラマの現場で役立ったりもするので、音楽の選曲にしろ、書物にしろ、映像にしろ、自分が気になるものはすべて連なっているのだなあと実感する今日この頃。
今回の音座銀座でのハワイでは、戦前からの灰田晴彦、勝彦兄弟を辿っていくと、浅草オペラや喜劇とも重なってきて、いろいろな発見がありました。
仕事を通して学ぶことだらけです。
還暦を迎えた今年、どうやら本格的に始動するのは、これからのようです。

歳を重ね、現場では最年長のことが多いのですが、それでもここのところ先輩方との共演も刺激になっております。
柄本明さん、笹野高史さん、佐藤B作さんらとお会いすると、あの70年代の小劇場ブームの幕開けの空気も蘇り、こちらも役者の道を歩み始めた頃の感覚が戻ってくるようです。

猛暑 !!猛暑!!!・・・のなかでの撮影の日々ですが、魂も熱いものを失いたくはありません。
倒れてしまっては元も子もないので、熱中症には気をつけなければ・・・ですが。 クールさも失わずに。^^"

さて、これから屋上でのロケ撮影だ〜!!!
いざ。

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★色んなところで撮影します。こちらは三浦港。


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★気になる被写体が目に入るとシャッター切ってしまいます。


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★八ヶ岳の高原ロケの帰りに車から降りて、パシャリ!!

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★富士山と不思議な雲。


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★牧場でのロケ撮影。ひつじ。


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★撮影とはいえ、和みました。

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★ロケット発射台!!??^^”


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★夕焼けにも癒されました。


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★八ヶ岳、監督に勧められて美味しいカレー屋さんへ。アフガンカレー。

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