佐野史郎の演劇的人生

佐野夫婦が語る、状況劇場時代

1997/12/1
真希ちゃんは状況劇場では佐野くんの一年先輩になるんだけど、入ったきっかけは?

マキ◆私は役者になろうとか思って状況劇場を受けたわけじゃないし、唐さんに会いたいがために行ったら、いっしょに舞台にまで出られて楽しいなとしか思ってなかった。(笑)

佐野◆オレは根津(甚八)さんが辞めて、これはオレが状況劇場を救わなきゃという気負いがあったからな。(笑)

状況劇場としては、二枚目が必要だったんだろうけどなー。じゃあ、小林薫には任せておけないって。(笑)

佐野◆いや、一人じゃ大変だろうと。(笑)もちろん(十貫寺)梅軒さんや(不破)万作さんはいたけど、もう一人いるだろうと。(笑)で、入ったら、チャンチャンだったけどね。(笑)

アハハハハ。(笑)あの頃は、タモリ路線の芸能系に行くのかとも思っていたから、状況劇場に入ったというのはちょっと意外だったかも。

マキ◆ああ、そうなんだ。まあ、今になってみると、それに近くなってるかもね。(笑)
でも、状況劇場に入ってなかったら、ずいぶん違ったものになってただろうね。サノのいまの芝居のテイストとか、ものの考え方とか見方は状況劇場で得たものが基礎になってると思うよ。

唐(十郎)さんの演出の仕方って、どんな感じだったの。

マキ◆そこにかかわる役者で、そのシーンをきちっと作ってオレを面白がらせろって感じだよね。(笑)

佐野◆稽古の初日から、台詞が入ってるのはあたりまえだし、そこで幕を開けたっていいぐらいのところから、またいじっていくね。

マキ◆そこから、ここはもっと面白くしようって言って、ワイワイ大騒ぎしながら、笑い転げて作って、でもすぐ飽きてって感じ。(笑)馬鹿騒ぎとすごく繊細なことを、唐さんは同時に進めていくのよ。

佐野◆で、誰かがドツボにはまって稽古が止まるんだけど、それがだいたいオレだったりして、状況劇場を背負って立つあの気負いはどこへやら。(笑)

台詞とかもドンドン変わっていくの。

マキ◆全然変わらないよ。舞台を観てると、ほとんどアドリブみたいに見えてたけど、全くないね。ダイアローグを書くのが天才的に上手いんだよ。
唐さんの台本ってほとんどナンセンスなんだよね。そのナンセンスの中から、ゴロっと真実や本質みたいなものが出てくる瞬間があって、その時に打ちのめされるというのがあるじゃない。あれは、やっぱり唐さんて天才だなーと思うよね。
それに、どんなにナンセンスでも、すごく詩的で、美しくて、覚えやすいから、しゃべってて気持ち良くなっちゃうんだよね。一度自分を通さなくても、いい気持ちになっちゃうから、そのことに気づかず何年もやってると役者としてはボロボロになるんじゃないかな。(笑)

根津甚八さんも小林薫さんも、わりと普通に役者さんになってしまったけれども、以前の金子國義さんとか四谷シモンさんとかの方が、唐さんに近いところで仕事をしてる。

マキ◆唐さんをどういう風に観ていたかによるだろうね。金子さんとかシモンとか安保(由夫)ちゃんとか私たちは、同じような唐さんを観ていたんだろうし、唐さんの“ここが好き”という部分が近かったから、今でも仲良くしてるんだろうね。

あとアメ(飴屋法水)ちゃんとかね。

佐野◆もっとコアだからな。(笑)

マキ◆ハードコアだからね。(笑)

佐野◆唐さんのショートカット(Windowsでの言い方、Macではエイリアス)を作ってるみたいだからな。(笑)

マキ◆たしかに、唐さんの芝居以外でああいうグっとくる感じがあったのは、東京グランギニョール(飴屋法水・演出)だけだな。唐さんやアメ(飴屋法水)のは演劇という言葉では括れないんだよ。