佐野史郎のお気に入り


高校時代の恩師“佐々木先生”の死

1998/2/3
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亡くなった佐々木節男先生。昭和48年度島根県立松江南高等学校卒業アルバムより。
1月17日に高校時代の恩師の佐々木節男先生が気管支系の病気で亡くなったんだよね。今年も年賀状をいただいていて、「年寄りには理解出来ない事件が起きる世の中だ」と、世をはかなんだようなことが書いてあった。だから、病気だということは知らなかったんだよね。

佐々木先生は松江南高校の名物教師というか、堅い棒で生徒を殴ることで有名な英語の先生だったね。ボクたち11期の高校三年生の時の7ルームの担任だったんだね。

石原豊が幹事で高校の同窓会をやったときに、久し振りで佐々木先生に電話したことがあったな。その時は「還暦を過ぎたら、同窓会にも出るからな」と言ってたのに。中学校と高校で現代国語を教えてもらっていた石賀先生もガンで亡くなったし、そういう訃報が多くなってきたね。

佐々木先生は通称ポンチと呼ばれていて、これは確か英語の辞書の「Punch」のところに子供を棒で叩いている人形劇の絵が描いてあったからじゃなかったかな。

南高校の一期からいた先生だから、たくさんの卒業生が覚えてるんじゃないかな。オレもよく殴られたな。(笑)答えられないと棒が飛んできたからな。

でも、今で言う体罰とも違ってたし、恐かったけれども慕われる先生だったよね。別に殴られたからといって恨みに思う様なこともなかったし、それはボクらがお気楽だったからかもしれないけど。(笑)そういえば、佐野くんはよく佐々木先生の真似をしてた。

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高校時代の佐野。昭和48年度島根県立松江南高等学校卒業アルバムより。
してたなー。メガネを下瞼に引っ掛けて充血したようなギョロっとした眼にして、ちょっと怒り肩にして「exaggerate」って誇張して言うやつね。(笑)シェイクスピア・シアターの舞台でもあの芸は使わせてもらった。
南校には佐々木先生の作った「永久暗唱」というのがあって、それが言えないと朝早く学校に行って先生の前で言わなきゃいけなかったんだよね。でも、いまだに覚えているのは「She is all a wife should be」(彼女は妻として申し分ない)だけだけどな。(笑)

オー・ヘンリーの「The last leaf」も暗唱させられたね。

今思えば楽勝で覚えられることなのにな。(笑)当時は全然覚えられなかったな。
一年のころは制帽があったんだけど、錦織が生徒会長の公約として制帽の廃止を打ち上げたんだよね。何故かというと、昭和45年ごろは長髪のブームで、みんな帽子が似合わなかったんだよ。

ああ、ロン毛のブームだったね。

ロン毛とは言わなかったけどな。(笑)でも、その時から今も制帽がないんだって。
とにかく、佐々木先生は恐かったけど、ボクらの担任になったときに、最初に今までのことは水に流そうというようなことを言ってたような気がする。

たしかに、怒ってもしかたがないようなメンツが集まった異常なクラスだったからね。(笑)

それもあって、恐かったけど、そんなに怒られた記憶がないね。マキには、高校時代が楽しかったなんて信じられないと言われるけど、多感な時期にいろいろ刺激があって楽しい高校生活だったよね。
佐々木先生の想い出を募集しようか。松江以降、浜田や益田で教頭、校長までやってた先生だから、たくさんの人が教わってるはずだものね。