映画人としての佐野史郎



映画『カラオケ』監督日誌1

1998/5/11
◆1998年4月25日
この日の朝に大泉滉さんが亡くなった新聞記事を読んで驚いた。ロケがはじまるので 、すぐに花を送って上諏訪に向かったんだ。ところが、マネージャーのキカワがドラマ「青い鳥」で何度も行っているにもかかわらず、また道を間違えた。(笑)そしたら、大泉滉さんのお斎場のすぐそばまで来てたんだ。あれは呼ばれてたね。初主演作品の『夢みるように眠りたい』でご一緒させてもらった大泉さんだから、因縁は感じるよね。あいかわらず、ドラマはこんなところから始ってるわけだ。
それで、上諏訪に入って、メイン・スタッフで諏訪大社に行ってお祓いをしてもらったんだけど 、ロケハンでは行くたびに雨が降ってたのに、お祓いをしてもらった直後から一週間晴れたから、運で生きている佐野の面目躍如だよね。(笑)
そして、まだ決まっていなかった、少年が「唾くれ男」に追いかけられるロケーション場所を決定し、一週間分のカット割りの打ち合わせをしたんだ。僕のカット割りだと600カット以上あるので、プロデューサーに考え直してくれと言われてたんだけど、知らないものの強みで、やってみなけりゃ分からないということにしてしまった。
初監督ということで取材が来てて、大泉さんの話をしたりした後に、「緊張するでしょ」と言われたんだけど、台本作りからカット割りからでてんてこ舞いだったから、不安とか緊張する間もなかったし、はじめてのことだから何が何だか分からないからね。
この日は居酒屋で馬刺を食べて初日に備えました。

◆1998年4月26日
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★佐野はこんなかっこうで監督をしてます。記録の大和屋叡子さん(左)と。
昨日は全然緊張してなかったけど、朝起きたら武者震いというか、ちょっと力が入ったね。
取材番組が入ってて、やっぱりファースト・カットの「はい、本番。よーい、スタート」っていう声とか撮りたがるじゃない。でも、それを狙われてる方としては恥ずかしいし、もうVTRの素材撮りとかはしていたから、気合が入ってる風にはならなかったんだ。ところが、最初はすかしてたのに、だんだんガッツが入っていくわけだよ。( 笑)エキストラに芝居をつけるのに、走って行ったりしてたら、「助監督がやりますか ら」と言われたけど、自分でやらずにはいられないんだね。もうエンジンは全開なんだ。
午前中は少年(坪田翔太)の後を追う玉袋(筋太郎)さんのシーンを撮った。
今回は造り酒屋の女主人役で柴田理恵さんにも出てもらってるんだけど、彼女の旦那さんは状況劇場の後輩でいっしょにやってた仲間だから昔からよく知ってるし、信頼感はあるよね。普段は役者同士の付き合いだから、いざ監督として「ここはこうしてくれ」と言うのは最初は照れがあってやりにくかったんだけど、でも、ちゃんと監督として接してくれるんだ。当たり前のことかもしれないけれど、嬉しいものだぜ。彼女の旦那役が同じワハハ本舗の佐藤正宏さんで、息のあったところをみせてくれそう……。日没後にこの日の予定を終了。

◆1998年4月27日
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★「唾くれ男」玉袋筋太郎(左)と新人の坪田翔太少年。
この日は、「唾くれ男」の玉袋筋太郎さんが少年のストーカーをやるところを撮りました。カット数が多いと言われてたけど、何度考え直しても同じカット数にしかならなかったんだよ。(笑)それで、予定を変更してその場で割ったカット割りで、飯時間をずらして撮らせてもらい、結局、予定以上の27カットを撮ったね。二日目にして早撮りの片鱗がみえてますね。
少年役の坪田翔太くんは要チェックでしょう。オーディションで決めたんだけど、一人だけクサくない芝居をしてたからね。ジャニーズ系ではないけどアイドルっぽい魅力もあるし、かわった子で面白いよ。なにしろ何かやりたいという欲のかけらもないからね。常盤貴子ちゃんと同じ事務所なんだけど、事務所のひともエキストラに毛の生えた位の役だと思っていたらしく、「あの子は芝居できませんから」といって、オーディションに受かったのに、喜ばないで困ってるんだ。そこがいいのにね。

◆1998年4月28日
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★主役として映画を引っ張る段田安則と、その妻役の石川真希(右)。
28日、29日は児玉写真館のシーンでした。
今日は織本順吉さん、段田さん、真希、坪田くん、鈴木未彩ちゃんの児玉写真館の家族の撮影。この日に(石川)真希が来たんだけど、もちろん女優さんだから今回は「石川さん」って感じだよね。向こうも、いっしょにやってるバンドだと「おい、佐野」って感じなのに、同じようにものを作ってる場なのに違ってたね。
段田さんも真希もオレの演出意図を明確に理解してるし、段田さんはとにかく上手い! 舌を巻 く上手さよ。オレは好きだよ。ベースがナチュラルだからね。オレは人はみんな変だということがベースだから、よく役が被ってるように言われるけど、全然違うよね。
真希と段田さん、織本さんの写真館の店先のシーンでは、本当は4カットぐらい考えてたんだけど、鏡の写り込みを利用して撮ることで1カットで抑えたり、お芝居に関するシーンはカット数が少なくなる傾向があるね。

◆1998年4月29日
昨日に引き続き、織本順吉さん、段田さん、真希、坪田くん、未彩ちゃんの児玉写真館のシーンだね。ここの写真機がすごいのよ。いまでも使ってるらしいけど、古いカール ・ツァイトのいいレンズで、シャッターもエア・レリーズだし。小説の『ふたりだけの秘密』のエピソードのいくつかは、この写真館でそのまま再現できたんじゃないかな。
この日は『長男の嫁2』でいっしょだった矢田亜希子ちゃんと佐野の車のシーンを撮りました。矢田亜希子ちゃんはいいよ。テレビとは違ったデフォルメした演技を要求しても、ちゃんと演ってくれる。勘がいいんだな。ラッシュを観たけど、けっこう笑えるんじゃないかな。
それと、クランク・インの一週間ぐらい前に思いついた、児玉写真館での幻想シーンを撮りました。ちなみに、中学校時代の写真は、佐野も段田さんも中学生の時の写真を合成して作ってます。
なんか、映画を撮っててけっこう妥協しないんだよね。これでいいやとか全然思わなくて、あきらめてOKを出すことがない。それでも時間内にあがってるということは、やっぱり石井輝男、若松孝二の影響が強いのかな。どうやったら短い時間に的確に指示が伝わって、その通りになるかということの繰り返しだよ。こんなに集中してるのは、冬ちゃん以来じゃないかな。

◆1998年4月30日
今日は佐野と矢田亜希子ちゃんの外のシーン。「青い鳥」の時に気になった神社があって、切り返すと綺麗な山もあり、よくある金属製の手すりもない古いところで、気に入ってコンタックスでモノクロ写真を撮ったりしてたんだけど、今回そこでロケをしました。
俳優としての佐野は、これが下手。自分でダメ出ししてる。(笑)もしかして他の監督だったらOKを出してるかもしれないけど、自分の正確なイメージがあるから、かえって思うようにならないんだな。役者としてはちょっとダメだな。監督としては「なんとか頑張って欲しいよ、佐野くんには」って感じだよ。(笑)
この日の夜は初のナイターで、段田さんと黒田さんの出会いのシーンを撮りました。100メートルぐらい道に、照明の長田さんが全部照明を仕込んでくれたんだけど、途中ではじめて雨が降ってきたんだよ。俳優部だったら「やった、中止だ!」って喜ぶこともあるのに、今回は「あー、ダメかー。明日も降り続いたらどうしよう」って情けない顔になってしまったね。それでもまあなんとか、24時半には撮り終えました。


ハートウォーミング佐野の監督日誌2

1998/5/17
◆1998年5月1日
この日撮ったのは、少年(坪田翔太)を玉袋(筋太郎)さんが自転車に乗って追いかけてくるシーンだね。それで、追い詰められたところで「唾をくれ」って言われるんだよ。そこに、手のアップと列車の音とカメラのシャッター音とかがからんでいくんだ。それで、玉(袋筋太郎)さんがその唾を飲むんだけど、良かったよー、いつもの浅草キッドの顔ではないね。「唾をくれ」っていう言い方とか、けっこう細かく修正しながら演ってもらったけど、いい顔してたなー。ベンガルもこの役を「いい役だなー。オレがやりたいなー」っ言ってたぐらいだもんね。
こういうシーンになると、オレにとってはナチュラルなことでも、助監督やカメラマンには分からないことがあるみたいだね。こういう構図にしてくれっていう時に、リアリズムの時は問題ないんだけど、フェティッシュに走ったりするとちょっと手間取ったね。初日、二日目ぐらいはわからない部分もたくさんあったんだけど、一週間たってきて、明確に「こうです」って言えるようになってきたね。
この日は電車入れ込みの、これが撮りたいっていうシーンがあったんだ。陽も落ちてきてこれを逃すともうないという時だったから「オイ、行くぞ!」みたいなノリになって、これがまた絶妙のタイミングであずさ2号が入ってきて、シーンが終わって「カッート!」って言った瞬間には、ほとんどノリノリのニール・ヤング状態だったよ。(笑)ものすごく熱くなって「イエイ!」「OK!」とか言ってるわけよ。(笑)情念の監督だね。さすがに唐十郎、遠藤賢司の弟子だと思い知らされたよ。(笑)
この日は夕方一回風呂に入って、ヌード劇場の脇を段田(安則)さんと黒田(福美)さんが自転車で二人乗りしてるシーンをワンカットだけ撮って終わりました。早く終わったのでそのあと玉袋さんと連絡をとりあって「信玄屋敷」に行って呑みました。

◆1998年5月2日
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★目立つ芝居をしているわけではないのに、圧倒的な存在感がある島崎俊郎。
今日は天気予報で雨かも知れないということだったので、チーフ助監督(佐々部清)が朝早くからスケジュールを組んで、医者役の島崎(俊郎)さんのシーンを撮りました。看護婦役のあやちゃん(吉添文子)はオレのやりたいことをすぐに分かってくれるから、和やかに進行しました。島崎さんには割と細かく芝居をつけさせてもらいました。抑制したお芝居をしてもらったんだけど、何だか分からないけどすごい存在感だったね。島崎さんとは同い年だし、誕生日も10日ぐらいしか違わないんだ。
島崎さんとは冬彦×アダモちゃん対談だったね。「ひょうきん族」でカツラを被ったら、たけしさんに「お前、それじゃあポリネシアン・ダンサーだよ」って言われて、翌週にはアダモちゃんやることになってたらしいね。それで、テストなしで急にやれって言われて、追い詰められて心臓バクバクで出て行ったら「やめてくれー」という気持ちが「テッテ、テッテ、テー、ペイ!」みたいになったらしいんだよね。(笑)それは冬彦といっしょだねーって話しをしてた。(笑)ロケ地だから通行人もいるのに、島崎さんは生アダモちゃんを見せてくれるし、白熱して冬彦の「ウー」とかやったりして、プロデューサーの貴島(誠一郎)さんがVTRを回しとけばよかったって言ってた。(笑)
天気が下り坂という話しだったから心配してたんだけど、なんとか一日もちました。夜、蕎麦を食べに行ったころからパラパラきたのかな。その後、居酒屋「さわだ」でビール飲んで早く寝ました。

◆1998年5月3日
ここまでは好調だったんだけど、さすがに今日は朝からザーザー降り。でも、中学校の卒業写真を撮るためにエキストラを50人くらい呼んでたし、シェイクスピア・シアター時代からの友人の(渡辺)哲っくんも友情出演で駆け付けてくれてたから、なんとか撮りたかったんだけど、とりあえず学校の校内のシーンから撮ってたのね。
それで、2時位にもう今日はあきらめましょうと助監督と話してたところが、急にパ―っと晴れてきたのよ。でも20何カットあるし、陽が落ちるまでに撮るのは常識的には無理なんだけど、佐野がシャーマン入っちゃって、ハハハハハ、6時までかかって全部撮り終えたよ。(笑)そんな毎日ダスヨ。(笑)
哲っくんも面白かったな。よけいな芝居ばっかりして。(笑)オレや六平(直政)ちゃんが小芝居をいっぱいするから、若松(孝二)監督が「お願いだから、普通にやって」って懇願した気持ちがすごく良く分かった。(笑)
段田さんと美保純さんのシーンも良かったですよ。何も言うことないから、こっちはドンドン撮っていけばいいわけ。役者さんはすごいなーって思ったよ。(笑)オレにはあんなことは出来ないなーって、マジに思ってしまったな。殊勝な気持ちになってるわけよ。へへへ、スタッフのみなさんに対してもものすごくありがたいと思ってるわけよ。(笑)43才になってはじめて、ハートウォーミングを知るって感じですかね。(笑)
「馬には乗ってみろ、結婚はしてみろ、子供は産んでみろ、監督はしてみろ!」みたいなことだよ。ウハッハッハッハ。(すみません、初監督のストレスでちょっと壊れてます)石井輝雄監督だって、若松孝二監督だって壊れてるよ。もう、良性ストレスよ。ネガティヴなストレスじゃないの よ。ヘッヘッヘッヘッヘ。
(カー・ナビゲーターの「左に曲がって下さい」というコールに対し)こいつの言ってること、ウソだからな。ハッハッハッハ。

◆1998年5月4日
東京に戻って、日活の撮影所でラッシュをはじめて観ました。思ったとおりに撮れてたんだけど、プロデューサーの貴島さんは「画面が暗い」とか「竹内さんの脚本の軽さがない」とか言って心配してたね。(笑)
ラッシュを大きな画面で観たら、現場では分からなかった細かいミスみたいなものが分かったね。大丈夫だと思うけど、現場ではカメラじゃなくて生の芝居を観るようにしてるからね。まあ、それも含めてこれが実力だよね。
撮ってるときも自分でごり押ししてるわけじゃないしね。助監督の意見も積極的に取り入れてるし、人が「こうしたら」と言うと割と「はい、はい」ってそうするし。(また、人のせいにする作戦だね)、そうそう、オレが言ったんじゃない作戦だから。(笑)
そのあと緑山スタジオに移動して、美術の打ち合わせと、5、6日分のカット割りの確認をして帰りました。

◆1998年5月5日
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★児玉泉(段田安則)の父親役の織本順吉さん 。
緑山ではじめて映画を撮るということもあって、石田(道昭)さんや青木ゆかりさんをはじめいつものドラマの美術陣がとても頑張ってくれて、素晴らしいセットが出来ました。セットは映画の撮影所とシステムが違うので、壁を外しての撮影に時間がかかったりしたけど、いい感じでしたね。
(石川)真希も諏訪の時より力が抜けてたし、織本(順吉)さんも、その演技に対する情熱にうたれました。わりとスムーズにいったんだけど、でも、24時までかかったんで、この日は鶴川のホテルに泊まりました。

◆1998年5月6日
セットのランプシェードがわが家の廊下のものと同じだったりしたんだけど、加えて青木(ゆかり)さんが参考にしてた和洋折衷住宅の資料が、たまたまロケハンした諏訪の昔の片倉製紙の本社だったりして、求心的にイメージが集結してバッチリだったね。畳に床の間なんだけど、天井は漆喰で洋風みたいな。この日は25時くらいまでかかったかな。それにしても芝居がいいとカット数が減るね。割るのがじゃまになるんだ。坪田君もクランクイン前の特訓の成果があって長回しのシーンも問題なし。汚れがないんだよ、彼には。クライマックスのシーンもうまくいったよ。なんか鳥肌たっちゃった。


ハートウォーミング佐野の監督日誌3

1998/6/2
◆1998年5月7日
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★ロケ中の段田氏(右)と佐野監督。
諏訪に移動して、またピーカンだったね。泊まっている南湖荘の向かいの油屋旅館で矢田亜希子ちゃんのシーンを撮りました。私も俳優さんをやったんだけど、やっぱりダメだったな。なんか、しっくりこないねぇ。サービスカットっていうわけじゃないんだけど、露天風呂のシーンを最後にしてビールを呑んで帰りました。

◆1998年5月8日
雨がパラパラ来たりするまえに、坪田くんと水谷妃里ちゃんの登校のシーンを撮り終わって良かったと。そのあと土砂降りで野口(五郎)さんとベンガルの登場シーンが中止、ラストシーンが市役所の内部のシーンだからこれは撮りましたけど。しかしベンガルのあの軽みはなんだろうね。貴重な俳優さんですよ、ホント。この日は仕様がないから、みんな休んでもらいました。あきらめて、ベンガル、美保純、黒田(福美)さんたちと蕎麦屋に行って呑みました。翌日が朝3時起きだったから、9時ぐらいには休んだかな。

◆1998年5月9日
カラオケ帰りの早朝のシーンを撮るために、3時起きだよ。同窓生みんなが並んでるシ―ンだね。それから続けて柳のある道を歩くシーンを撮ったんだけど、俯瞰の絵を撮るために用意してもらったハイライダーがトラブッてね、急遽ちがう割りにしたんだけど、こっちの方が結果的には柳も美しく、湖とみんなのバランスも良くて正解でした。「災い転じて福と為す」。みんなにはナイターまで待ってもらっていて、ボクらは撮りこぼしてたベンガルと野口さんの登場シーンを撮ってから、カラオケ・ボックスの夕方のシーンを撮り、夜のシーンを撮って東京にもどりました。終わったのは23時くらいかな。なんとか撮りこぼしもなく、順調に来てますね。

◆1998年5月10日
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★カラオケ屋のネオン。タイトルバックにも使われるか?
今日は東京に戻って、14時からラッシュを観ました。だいたいイメージ通りだし、ちょっと違うと思っても、それをどう組合わせて良く観せていくかという回路に切り替わるので、非常に楽しいよね。同じカットを何テイクか撮ってあるので、ラッシュを観ながらどのテイクを使うか判断出来ればベストなんだけど、無理して即決してあとでしまったということもあるから、どっちにするか聞かれても「分からない」「決められない」「繋げたときに決めさせて」と言ったりもする。
ラッシュを観終わって、緑山スタジオに移動して、11日、12日に撮影する「湖月」という割烹のシーンのカット割りの打ち合わせをしました。

◆1998年5月11日
今日は割烹「湖月」での同窓会(段田安則、黒田福美、美保純、野口五郎、島崎俊郎、柴田理恵、佐野史郎)のシーンを撮りました。わりと細かく芝居をつけていて、あとでラッシュを観ると、やっぱりその部分がいきているね。ノリも大切だけど、それも緻密さの上に成り立つことなんだね。
「湖月」の床の間には小津安二郎監督に敬意を表して「無」の掛軸を掛けました。
仲居さん役の畠山明子さんは『ゲンセンカン主人』でも共演したし、10年以上も前に竹中直人、室井滋、オレ、河合美智子、畠山さんで芝居をやろうって下北沢のレディー・ジェーンに集まったことがあるのよ。結局それはただの飲み会で終わってしまったけど(笑)……あれは幻の舞台となってしまいました。
2日くらい前に10日、11日に撮らなければならないカット数が多いから考えてくれないかとまたプロデューサーから言われてたんだけど、オレのカット割りは誰が何に対してどういうリアクションをとっているかという人間関係を確認するための演出ノートとして割られている部分もあるから、半分近くに減らしたのかな。
おかげで、この日は撮り終わってから鶴川に泊まらずウチに帰ることも出来ました。

◆1998年5月12日
この日も割烹「湖月」での同窓会(段田、黒田、美保、野口、島崎、柴田、佐野)のシーンを撮りました。自分も出てるんだけど、みんなの芝居をチェックしながら演じているというのが、非常にやりにくかったね。自分で観てみると、ああチェックしてるって分かるね。
美保さんは映画女優という佇まいを強く感じたし、野口さんとのツーショットは非常に可愛くて気に入ってますね。野口さんはさすがに「かっくらきん」出身だけあって、間合いが絶妙だよね。楽屋での細かい駄洒落もすごいんだよ。(笑)黒田さんには、いままであまりやったことがないだろう、エロ女っぽい表情をしてもらってるかな。
この割烹のシーンでは、ふすまを隔ててふたつの芝居が同時進行するという演出をするために苦心したかな。「そーだ屋のそうすけさんが……」というのは台本にはなかったんだけど、みんなが知ってたんで、柴田さんが急に歌いはじめたのをそのまま使っちゃった。そういうアイディアはどんどんいただいてます。


ハートウォーミング佐野の監督日誌4

1998/6/12
◆1998年5月13日
これが最後の諏訪ロケです。でも、9時45分出発だから、けっこうゆっくり出たね。少年(坪田翔太)と「唾くれ男」(玉袋筋太郎)の追っかけのシーンの撮り残しを撮りました。車輪があってペダルが漕がれていて、そのフレームの中に後ろから車輪がインしてくるというのは、映画を撮るんなら絶対撮りたいと思ってたシーンだったんだよね。これは20歳ぐらいから思ってる原風景だったから、今までも他の現場のスタッフに、どうすると撮れるか聞いたりしてたんだよね。
今日で玉袋さんはアップだったんだけど、充実した顔をしてたよね。うれしかったな。それから、諏訪湖畔で野口さんと伊藤(正之)氏の環境問題を語るシーンを撮りました。夜は同窓会の7人が外で歩くところの撮影なんだけど、全体を撮りたいしカットバックをやりたかったんで、けっこう苦労したね。26時とか27時までかかったね。この日はさすがにオレも夕飯の時にはバッタリ寝ちゃったもんね。だから「さわだ」にも「恵」にも行けず、ロビーでビールを飲んで寝ました。

◆1998年5月14日
黒田さんの母親役の野際(陽子)さん登場です。はじめて野際さんに演出したんだけど、段田さんともオレともTVドラマでのコンビが長いから息が分かっているので、助監督のサジェスチョンもあってカットを割らずにワンカットでいったりしました。この日の昼は「河内屋」に行って煮カツと焼き鳥、山菜の天麩羅を食べました。うまかった。
坪田くんも今日でアップ。坪田くんが現場ですごく可愛がられているので、彼を見放していた事務所の人がビックリして、「事務所としても、これからは力をいれていきます」って言ってたね。(笑)彼は積極的に何かをやろうとしないところがいいんだよね。だから誰もが使いたがるっていうわけにはいかないかもしれないけどね。
今日のシーンには玉袋さんも通るんだけど、影みたいになって横切るだけだから、ウチのチーフマネージャーの渡辺氏にシャツを着せて出演してもらいました。渡辺氏はいつもおいしいとこに来るんだよね。(笑)この日も26時くらいまでかかったかな。

◆1998年5月15日
諏訪ロケ最後の日です。
昨日プロデューサーの貴島さんに「役者さんに細かくダメ出しをしすぎる」「役者さんをいい気持ちにしてあげて、いいところをいただかないと」と忠告されたんだけど、それを意識するあまり、現場に入ったら昨日以上のダメ出しをしてしまいました。はっはっはっは。(笑)でも、ラッシュを観たらやっぱり読みきれていない役者さんにはコミュニケーションをとって説明をしないとダメだなと思った。
段田さんはすごく的確だし、黒田さんもどんどんよくなっていってラストの3カットは非常に満足したね。「戦争は知らない」を歌うところは、オレもジーンときたりした。この日は佐野の長セリフがあって、カットを割ると逃げているように思われるから、ワンカットで受けて立ったよ。(笑)カメラマンと助監督にまかせて、珍しく俳優部に徹したかな。
諏訪ロケ全部をアップしたときは、ちょっとウルウルきたね。エンディングロール用の湖の大俯瞰を撮るために高台に登って、「登美」に行ってビールを飲んで、蕎麦食って撮影部、演出部で軽い打ち上げをやりました。
しかし、ここまで晴れが続いたりするのははじめてだと、長い間映画をやってるスタッフの人たちみんなが言ってたね。「おかしい」とまで言われたぐらい。雨で半日つぶれたんだけど、雨上がりのいい風景が撮れたことも考えると120パーセントの天候に恵まれたね。最後に、天候に恵まれたお礼をしに諏訪大社の上舎に行ってから、東京に向かいました。

◆1998年5月16日
今日は緑山スタジオにカラオケ屋のセットを観に行きました。児玉写真館のセットは壁がバラせないとかいろいろあったんだけど、今回はそのへんが全て解消されて、廊下と壁がくっついたまま引き枠で動くようになってた。
それから日活の撮影所に移動してラッシュを観ました。マネージャーのキカワが二役で出ています。坪田くんが湖をバックに自転車で道を昇ってくるところで、エキストラが足りず急遽出演してもらった女子中学生役のキカワが映っています。(でも、制服が似合うとか評判良かったですよね。byキカワ)コスプレ・マニア必見ですね。野口さんとのからみのセリフは、キカワが右と左が分からないのをいただいて現場で考えたんだけど、映画のテーマとして鏡や映ったものや右とか左や裏とか表がわからないとかネガとポジというフイルムに対するオマージュの意味も隠されているんだよね。
よく観てると、カラオケ屋にどうやって行ったのか訳が分からなくなってるのに気がつくはずです。鏡に映った世界なんだよね、きっと。その点ではジャン・コクトーの『オルフェ』に通じるね。(笑)調子こいて言えば、オレはウルトビーズの役かな、わっはっはっはっは。

◆1998年5月17日
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★「特命リサーチ200X」で共演している川平慈英さんの友達で、ミケランジェロ・アントニオー二の写真集を出した写真家の岸野さんが見学に来たので、急きょ頼んで撮ってもらった現場の写真。演出の指示を出す佐野。
この日からまた緑山のスタジオです。カラオケ・ボックス撮影の初日ということもあって、最初は手探りで進めました。JIS企画で舞台をいっしょにやってる谷川昭一朗氏と燐光群で舞台がいっしょだった江口敦子さんに店長と店員さんをやってもらいました。カラオケでは中村晃子の「虹色の湖」を黒田(福美)さんが唄って、美保純ちゃんがいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」を唄いました。クランク・インの前にリハーサルをやっていたし、事前に歌はとってあったので順調だったね。でも22時半までかかって、鶴川のダイアモンド・ホテルに泊まりました。

◆1998年5月18日
連日8時開始です。カラオケ・ボックスにベンガルが登場したところのギャグなんかは、現場で作ったものもあるよ。この日のメイン・イヴェントは野口五郎さんの唄う「マドモワゼル・ブルース」だね。ライティングも長田(達也)さん凝りまくりでしょう。美保純さんとの野口さんのラヴ・ストーリーは見物だね。そして島崎(俊郎)さんの唄う「恋の奴隷」、柴田(理恵)さんの弘田美枝子の「人形の家」だね。この日は23時ぐらいに終わったかな。

◆1998年5月19日
photo
★写真家の岸野さんに撮ってもらった現場の写真。演出の指示を出す佐野。
今日は佐野がやっぱり筒美京平ナンバーでオックスの「ガールフレンド」を唄ったね。ほかにも西田佐知子の「くれないホテル」が出てきたり、京平ナンバーを意識したのは事実ですな。だのに段田氏が「スーダラ節」か。(笑)それから、野口さんの「長い髪の少女」。さて、この日は同窓会の全員が集まる最後の日。長回しが多くなったね。この日からクレーンを使って、カットを割らなくなったな。だからといってすんなりいくわけでもなく、けっこう時間がかかりました。
圧巻は、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」をみんなで唄うところだよね。それをワンカットでいこうというのが大変だったよ。「これ、ワンカットでいきたいな」ってポロっと言った途端に、全部署がガーっと動きだしたから「あちゃ」っと思ったんだけど、結局それで6時間かかりましたよ。ワンカット撮るだけだったんだけどね。全員で壁をはずしたり取付けたりしながらのクレーン撮影だったからね。制作部までマイク持ったりしてたよ。その後に、「戦争は知らない」の幻想シーンをやはりクレーンで撮ったから、朝4時半までかかったね。俳優部のみんなはほんとにカラオケ屋で朝まで明かしちゃったみたいだったって言ってた……。感無量!

◆1998年5月20日
さすがに最終日の今日は12時スタートになりました。助監督の佐々部(清)と瀧本(智行)が本当に良くやってくれて、ない時間をうまく捻出できたんだ。カラオケ店内のカット割りは助監督の力だね、はっきり言って……。演出意図をよく汲み取ってくれたチームでした。それでこの日は、カラオケ店内の細々したカットを撮影しました。ミラーボールとかのモノ撮りもあったから、全部終わって22時近くだったかな。みなさんにご挨拶して、花束をもらったり、前日アップしていた黒田さんや音楽の浦山(秀彦)&熊谷陽子の二人、それに真希もきてくれて、感動のラストを向かえたわけですよ。
翌日は廃人でした。(笑)