橘井堂 佐野
2000年9月10日

「天要」/幻の天丼再現
「隠れ家へようこそ」という関西方面で放送された毎日放送のテレビ番組で、吉祥寺にある「糸切りだんご」というお店に村松友視さんと岩崎ひろみさんを招いて、浅草の「天藤」という天麩羅屋さんの御主人に天麩羅を揚げてもらったのよ。
その江戸前の天麩羅の最後に、小学生の頃に食べた今はなき松江の天丼屋「天要」の天丼を再現してもらったんだよ。

なんだか、めごちから松茸までいろいろ揚げてもらってて、どんどん顔が油ぎってくるところが凄かった。(笑)

4時間食べ通しだったからね。さすがに次の日はお腹が変だった。(笑)

「天要」の話は高校時代から何十年も話しにのぼらなかったのに、ここにきて良く話すようになったね。

「月刊カドカワ」で「ボクの記憶画帖」の連載をした時に、記憶の中の天丼の話しも「ツバくれ事件」も思いついたんだけど、もう少しちゃんとした形にしたかったんだよね。
それで、筑摩書房から小説を書かないかと言われたときに、どっちにしようかな思って、まず天丼の話しをシナリオ形式で書いてみたんだよ。シナリオだったら、毎日のように読んでいるわけだし、映像を思い描きながら書けそうな気がしたんだよね。(8年ぐらい前のその原稿は残っているから、今度HP20万人突破記念に発表しようかな)
ところが、そのシナリオは筑摩書房では「これでは、小説にはならないから」と却下され、じゃあもうひとつの「ツバくれ事件」にしようと、結局『ふたりだけの秘密』が出来たわけですよ。

なぜに、それほど「天要」の天丼が気になるの?

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★「天要」で使われていた実際の丼も手に入れました。
小学校3年の時に、たぶん父親達が夫婦喧嘩をして、弟は母親といっしょに大社の実家にいってしまい、父親が「天要」に連れていってくれたんだと思うんだよ。その道すがら江戸川乱歩の「電人M」を買ってもらったんじゃないかな。
それで、なんだか場所も良くわからない、看板もない店に連れていかれたんだ。ところが僕らの前に入ろうとしていたお客が、中から「今日はもうネタないよ」と言われて、断られたんだ。
『ああ、今日はもう終りなんだ』と思っていると、オヤジはそれでもお店の人に「大丈夫?」って聞くんだ。そしたら、さっきのお客は断ったのに、入れてくれるんだよ。「なんか、変だなー」と思ってたけど、今考えると、一番有名な白魚のかき揚げが切れてたのかもしれないね。それとも、単なる客の選り好みか・・・。
それで注文したんだけど、その後から来た四人組の常連らしき客の方に先に天丼を持って行くんだよ。
オレはまた「変だなー」と思ってムッとしてるんだけど、それに対してオヤジは文句も言うわけでもなくて、オレとしては父や大人に対する不信感が募るわけだ。
そんなイヤーな雰囲気の中で本庄海老の天丼が出てきたんだけど、これが今までに食べたことがないくらい美味しくて、そのアンビヴァレントな感じをどうしていいのかわからなかったんだよ。もう、バクバク食べたよ。(笑)

それで、取材までしたんだ。

山陰放送の開局30周年記念番組で小泉八雲の番組を作るんで、松江に帰ったときに「天要」のことを良く知っている隣の床屋さんの人に取材をして話しを聞いたんだよ。
そしたら、興味深い話が出てくる出てくる。(笑)

あれは話してくれる床屋さんの人の話の上手さや語り口もあるよね。面白すぎる。(笑)

「隠れ家へようこそ」の撮りの時も、松江で再度取材したんだけど、また面白い話を聞けたよ。(笑)ネタはどんどん膨らんでいくね。
東京と比べるとしょせん松江は田舎なんだけど、かなり洗練された味だったと思うんだよね。茶人として名を馳せた松平不昧公のお膝元だから、松江城のお堀の周りは、昔はずっと粋だったんじゃないかな。

それに、白魚をはじめとする宍道湖七珍という珍しい素材もあるわけだからね。

だから、松江に来る著名人はたくさん「天要」に行っていて、宇野重吉さんとか山下清さんとか来てるわけだよね。山下清はお替わりしたと言ってたな。(笑)その代わりに白魚の絵かなんかを描いてくれたのに、その価値がよくわからずに、店を閉める時に捨てちゃったみたい。

★つきましては、「天要」のことを知っている方、あるいは食べたことのある方、どんなものだったか情報をお寄せ下さい。

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