橘井堂 佐野
2004年9月3日

急報!! 種村季弘氏、哀悼
え〜、種村さんが亡くなったって〜!!http://www.asahi-net.or.jp/~jr4y-situ/tanemura/t_index.html
詳しい事はわからないけど、澁澤龍彦、種村季弘…二人がもう、この世にいないなんて…。

…胃癌だったそうで…。
葬儀は身内だけとの遺言があり、それもまた、種村さんらしいな…と。

最後にお会いしたのはどこでだったか…良く覚えているのは、美学校(エカが高校の時教えてくれた)の時の師、中村宏画伯の個展が銀座で展らかれた時だった。
ずいぶんとお歳を召された印象ではあったが、それでも、眼光の鋭さは変わることがなかった。
「美学校」は、僕が19歳の時、油彩画を学んだ工房である。
種村さんの講義が週に一回あり、「ナイーフ画家の系譜」という講義を僕は受けていた。
ゾンネンシュターンの展覧会が当時開催されたこともあって、ゾンネンシュターンを学んだ。
ほとんど分裂病患者の描く画と変わらぬゾンネンシュターンの作品は、純粋表現者のそれである。

状況劇場に入ってからも、唐さんとの交流が深かったので、たまには劇団にも顔をお出しになっていた。
『ナンセンス詩人の肖像』をテキストに、そこでも、色々なお話をしてくださったものだ。

テントにいた頃、澁澤龍彦さんと唐さんが話しているのを、耳をダンボのようにして聴いていたっけ(その割に何も覚えていないケド…)。
種村さんと飲みに行く唐サンの後にも、ついていったっけ…。

昨年、『別冊幻想文学 怪人タネラムネラ 種村季弘の箱』に寄稿させていただいたので、その文章をご紹介しておこう。

 〜1974年、私は、神田、神保町にある『美学校』に入校した。6期生であった。
『美学校』はマニエリスムの手法でもって、表現方法を体得していく工房である。絵画、絵文字、写真、舞踏、木彫、最終芸術思考…等々、それぞれの師たちは、何れもその道の大御所であった。
 シュルレアリスム…その、甘美な言葉の響きに誘われて、私は中村宏氏の元、油彩画を学んでいた。鉛筆でもってダ・ヴィンチの『モナリサ』の模写をし続けていた、あの工房。タイプライター学院の横をすり抜けて階段を上がり、ドアを開け、スノコを響かせて工房に入ると、しかし、そこにはドイツ文学者、種村季弘氏が…。そう、週に一度、技術鍛錬のみならず、講義も設けられていた。
 『ナイーフ画家の系譜』と題して行われた講義ではゾンネンシュターンが取り上げられ、その精神病患者と天才の間を行き来する作品を紹介しては生徒たちを圧倒した。淡々と語られるその佇まいから、ゴシックの香りが溢れ、ノスフェラトゥもかくや…と思わせる紳士ぶりであった。かと思うと後の、劇団状況劇場時代、座長唐十郎氏と共に、阿佐ヶ谷のガード下の焼き鳥屋へ潜りこみ、焼酎と、焼き鳥の煙に紛れて師たちの話を聞く機会にも恵まれて、表現の何たるかを教わりもした。「タネさんの奥さんは、結婚してからしばらくは、ダンナの仕事が何かわからなかったらしいんダヨ」と目を細めて悪戯っぽく笑う唐さん。「ケンカして、顔にチェーンの跡付けて帰ってくるから、ヤクザかなんかだと思ってたらしんダ」更に目を細めて笑う唐さん。その横で、眼鏡の奥の眼差しが、ギラリと光ったのが恐かった。超男性なのだな…と思った。〜

その本を手にしたら、タネさんからの礼状が挟まっていた。
「感謝、感謝、大感激!! 種村季弘」と記されていた。
…そんな言葉が素直に口に出せるような大人でいたいものだ…。
先達に、教えを乞うて、こちらこそ、大感謝である。

御冥福をお祈りいたします。

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