橘井堂 佐野
2006年5月17日

拝啓、小泉八雲様

5月17日に生出演した「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合)で紹介させていただいた小泉八雲への手紙の全文を掲載します〜。
放送の都合上、全部は紹介できなかったので・・・せっかく書いたからね。
小泉八雲のリンク集がありました。http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/H_link.html


拝啓、小泉八雲様
 新緑の季節、いかがお過ごしでしょうか?
 こちらは相も変わらずではありますが、なんとかマイペースで楽しく仕事を続けさせていただいております。
 それもこれも、あなた様のおかげ・・・と、年月を重ねるにしたがって、感謝の念を深くしております。
 おもえば、島根県の松江で小、中、高校を過ごした私にとって、小泉八雲・・・ラフカディオ・ハーン・・・いや、松江ではみなが言うようにお呼びいたしましょう、実は「へるんさん」の存在は、私にとって最初から大きなものでは決してありませんでした。
 「耳なし芳一」や「雪女」といった怪談を書いた、外国の偉い作家・・・といった程度の認識でありました。
 短い間しか松江に住まず、松江でセツさんと結婚なさったことや、教師として尊敬されていたことは子供の頃からよく聞かされておりましたが、読んでいた作品はといえば、「怪談」や教科書に載っていたものくらいでした。
 それが、いつからか、他の幻想的な作品にも触れ、紀行文等を読んでいくにつれ、特に、松江を、山陰を、日本を愛し、そのことを美しい文章で綴ってくださったことが、郷土を愛するものとして、とても誇らしく思えてくるのでした。
 そして、その、美しい松江の姿をあらわした文章によって、松江は先の大戦の戦火を逃れたと聞きます。
 私が、ここにこうして生を受け、生きていられることも、もしかしたら、へるんさんのおかげかもしれません。
 八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 
   八重垣つくる その八重垣を
 出雲神話に残るスサノオノミコトが詠んだという歌にちなんで名づけられた、へるんさんの帰化名にあやかって、私の娘も八雲と名づけました。
 娘は中学三年生になり、へるんさんの身長をかなり超えています。へるんさんが過ごした時代と比べると、日本人の体格はずいぶんと大きくなりました。
 けれど、それに反して小さく消え入りそうなものも・・・あるいは完全に失われてしまったものも数多く見うけられるようにも思われます。
 へるんさんは、そのことを、百年も前に予言なさっていらっしゃいましたね・・・そう、
小泉八雲・著、『日本人の微笑』。
 「昔の日本が、今よりもどんなに輝かしい、どんなに美しい世界に見えたかを、日本はおもいだすであろう。古風な忍耐と自己犠牲、むかしの礼節、古い信仰のもつ深い人間的な詩情、・・・日本は歎き悔やむものがたくさんあるだろう。日本はこれから多くのものを見て驚くだろうが、同時に残念に思うことも多かろう。おそらくそのなかで、日本が最も驚くのは古い神々の顔であろう。なぜなら、その微笑はかつては自分の微笑だったのだから」
 今、日本は、へるんさんと同姓の、小泉という方が首相をつとめております。
 よく微笑をうかべる方ではありますが、その微笑をへるんさんはどのように感じていらっしゃいますか?
 今度、是非、お教えくださいますよう・・・。
 そうそう。先日、へるんさんの曾孫でいらっしゃる小泉凡さんとお会いしました。
 へるんさんのご縁で、友人となり、小泉八雲に関する講演等でもごいっしょすることが少なくないのです。そうしたなか、へるんさんの作品を朗読することも定番となり、なにやらライフワークの体をなして参りました。
 どうか、つたない作業に失望なさることなく、末永く、見守ってくださいますよう・・・。
 そして、いつかお会いできました折には、仕事のこと、家族や友人たちのこと、そして、これからの日本がどうなっていくのか等々、是非、お話お聞かせくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
 とりとめのない文章となってしまいました。
 乱筆、乱文、何卒お許しくださいませ。
 どうか、いつまでも、お元気でお過ごしくださいますよう、お祈り申し上げます。
                                    敬具
小泉八雲様
平成十八年 五月十七日
                                佐野史郎 拝
       

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