橘井堂 佐野
2019年3月20日

内田裕也さんのご冥福をお祈りいたします
裕也さんが亡くなられた。
最後にお見かけしたのは、ムッシュかまやつさんのお別れ会でスパイダースのみなさんが集まり、演奏していた時。
翌年にはその時ステージに立っていらしたギターの井上堯之さんも他界なさり、日本のロック黎明期の、憧れの方達が次々と亡くなられるので、急激に時間が速く過ぎて行くように感じられてなりません。

裕也さんの音楽に対しては、それこそ70年代初頭に、「日本語のロック」論争があった頃、「英語で唄われなければロックじゃない」という意見に対しては疑問を持っていたので、当初、好印象は持っていませんでした。
けれど、実際は日本語のロックを歌っていらしたし、プロデューサーとしてもフラワートラベリンバンドを世に出し、それまでのバンドの音とは違う世界を日本で切り開いていらしたので、複雑な気持ちでおりました。
TBSの朝の若者向けのテレビ番組「ヤング720」で裕也さんがフラワーを紹介した時のカッコよさと言ったらなかったです。
同じ頃、同番組でエイプリルフールやジャックスも出ていたけど、細野晴臣さん、小坂忠さん、早川義夫さんたちを見て、「なんかスゴイ!!」とは思っていたけど、「カッコいい」っていう感じじゃなかったので、音楽的な魅力とルックスに引き裂かれるような気持ちでいたのかもしれません。
何しろその頃の裕也さんは、大大大スター、沢田研二さん〜ジュリー、タイガースを送り出し、グループ・サウンズブームも終わり、次なる展開を目論んでいらした頃でしたから、そりゃ発しているエネルギーもすごかったんだと思います。
「日本語のロック」論争で、大瀧詠一さんと対談した時も、結局、エルビス・プレスリーの話で意気投合していらして、ケンカっていう感じじゃなかったですしね。
フラワーTB、はっぴいえんど、ミカバンド、外道、頭脳警察、四人囃子・・・ジュリーの「JEWEL JULIE」ってアルバムも好きだったし、井上堯之バンドも良かった・・・。
なんとか良い音を作ろうと、みんな必死だったことを思うと、「日本語のロック論争」も愛しく思えてきます。

個人的には、最初に同席したのは映画賞の表彰式で。
林海象監督「夢みるように眠りたい」が受賞して、そのパーティーの席でお見かけしました。
その後、原田芳雄さんの事務所にお世話になり、恒例の年末の餅つきの宴で、テーブルを挟んで裕也さんと向かい合って飲んでいたのですが、裕也さんは開口一番「こいつよ〜、オレにガンつけやがるんだよ〜!!」と、絡まれたので「なんか、おっかないな〜、マズイな〜」と思っておりました。
どうやら、映画祭の時、僕が無意識に「日本語のロック論争」にこだわっていたからか、裕也さんをにらみつけていたらしいのです!!
でも、すぐにフラワートラベリンバンドの話や、東宝映画に出演なさっていた頃の話で打ち解け、それからは、会えば可愛がってもらっておりました。
若松孝二監督の還暦パーティー、原田芳雄さんの法事・・・お会いする時は、必ず大切な時でしたので、その時間の印象は深いです。
沢田研二さんとお二人でのライブ「きめてやる今夜」の打ち上げで、飲んでいた時、ひと言、裕也さんに言われました。
「サノ、オマエってロックだよな!?」
裕也さん、これからもあちらで暴れてくださいね!!
合掌。

橘井堂