橘井堂 佐野
2006年6月4日

短編監督作品『つゆのひとしずく』8月1日リリース
植田正治の写真、小泉八雲の言葉を組み合わせたこの作品は50代を迎えた佐野のターニングポイントとなる作品として、自身はとらえています。
一昨年、40代最後の年、私は映画の次回監督作品のシナリオハンティングの為、脚本家と松江に入り、取材を続けておりました。
作品の参考にと手にしたのが実家にあった植田正治の『松江』という写真集でした。
昭和40年前後の松江が映し出された、その風景は、まさに、企画していた映画の舞台そのものでした。
・・・私が過ごした小学生、中学生の頃の光景です。
何度もためつすがめつページを繰っていたところ、偶然にも鳥取県は大山の麓の植田正治写真美術館から、その『松江』の写真展のトーク・イヴェントに招かれたのです。
そこで、植田作品のオリジナルプリントの数々を目の当たりにして、私はすっかり魅了されてしまいました。
鳥取県境港(さかいみなと)市で写真館を営みながら生涯アマチュア写真家として作家活動を貫いた植田正治のことは灯台下暗しで、実は、その写真に見覚えがあっても、特に気に留めていたわけではありませんでした。
写真を友人たちと熱く語っていた70年代初頭の高校時代、中平卓馬、森山大道、細江英公、桑原甲子雄・・・「土門拳はどうなんだろう?」「やっぱり木村伊兵衛だな」・・・アッジェ、マン・レイ、ダイアン・アーバス・・・生意気盛りの少年たちが、何故にそんなにも写真が好きだったのか・・・?
山陰の低い雲がパラフィン紙で、砂丘が天然のホリゾントだと友人から教わったのは、もう随分後になってからのことでした。
それで、山陰には写真の磁場があるのだと・・・。
そんな仮説にも引き寄せられ、今回の作業は進められたのでした。

母方の実家は出雲大社の写真館なので、幼い頃から、スタジオの雰囲気や、裏で水で洗われるネガやプリントの並ぶ様子に親しんでいました。
叔父もまた、仕事を外れた時には好きな芸術写真を撮っていましたし、東京の練馬で過ごしていた幼い頃、、写真を趣味としていた凝り性の父は、二眼レフのカメラの、その正方形のアングルを、はがきでフィルターをこさえてパノラマサイズの画面として使ったりと、僕の幼児期の写真は、それで映画のひとコマのような形なのですが、確かに、少なくとも、まわりの写真好きの環境は磁場によるものかもしれない・・・と思わされてしまいます。
押し入れのなかで父がタンクを回してフィルムを現像し、それから引き延ばし機で焼き付けするさまを横で観ているのが好きでしたっけ・・・。

あと、覚えているのは・・・ポジフィルムで撮った写真を、裸電球とレンズを組み合わせて作った自作の幻灯器で投影するのに成功した記憶はありませんが、おぼろげに像が浮かび上がった時の感激は今も忘れません。

そんな幼児体験が蘇ったかのように、植田正治の写真を1000点余りから175点に絞り込んでモンタージュして作り上げたのが、この「つゆのひとしずく」です。
この表題は、やはり松江を、山陰を愛したラフカディオ・ハーン=小泉八雲の作品の表題から引用しました。
そして、作品では、題字を曾孫である小泉凡さんにお願いしました。
以前から好きだった、この文章は朝露のひとしずくをレンズとして捕らえた写真論でもあり、世界を自然のレンズをとおして読み解いています。
アイルランドで育ったハーンの世界観は、山陰の地と通底して植田正治のまなざしと重なり合い、引き込まれた形です。

実写部分では、自ら出演し、実際に植田正治が撮影した砂浜を歩き、実際に小泉八雲が暮らした家の庭で、その朝露を捕らえました。
松江で妻セツと出会ったハーン、家族を幾度もモデルとして登場させた植田正治、妻の石川真希に声の出演を・・・と思ったのも、手作りの工房で作られる映画を想像してのことでした。

映画の基本である、サイレントとモンタージュに戻り、カットカットを積み重ねていくにつれ命が吹き込まれていく手応えを感じ、そこからは、後はただもう、イメージが一人歩きしていくばかりでした。
音楽を加藤和彦氏にお願いしたのは、そのシュルレアリスティックな世界観を伝えるのに説明を要しないからでした。
何よりも、彼は、日本のロック、フォーク、ポップス史を変えた人物のうちの重要な1人です。
60年代末期にフォーク・クルセダーズやソロで発表していた、ありもしない街、ありもしないお店をモチーフにした「オーブル街」「アーサーのブティック」という曲にヒントを得ていたのかもしれません。
切り取られたファインダーのなかの世界に、ありもしない世界がたち現れるように・・・。
この現実と命名されている世界が、実は”死者の観た夢”で、この現実の世界こそが、ありもしない世界なのだと、そして、そんな世界にふさわしい楽曲を、加藤和彦さんは書き下ろしてくださいました。

植田正治の「砂丘シリーズ」は、鳥取砂丘で撮られたものも数多くありますが、初期のものの多くは、境港の植田写真館の近く、島根半島のくにびき伝説の残る弓ケ浜です。
夕方に、弓ケ浜には決して一人で行ってはいけないと・・・神隠しに遭う・・・と地元で言われた、そんなファンタジックな響きとは裏腹な場所でもあるのでしょう。
そう、対岸の韓国と北朝鮮のことを歌った、ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』は、決して幻想ではないのですから、そこに連なる弓ケ浜は、そして映し出される「つゆのひとしずく」の世界は、植田正治が切り取った、小泉八雲が語った、ありもしない世界であるとともに、我々が生きている、そして生き延びようと、日々、格闘する、確かに、ある世界なのです。

詳細はこちら。
『つゆのひとしずく』
[CAST]
声の出演:
佐野史郎
石川真希
[STAFF]
写真:植田正治
音楽:加藤和彦
言葉:小泉八雲
監督:佐野史郎
[DVD Info]
発売元:幻冬舎
価 格:¥3,129(税込)
発売日:2006年8月1日

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