橘井堂 佐野
2011年4月28日

スーちゃん、ありがとう

平成23年4月25日、東京、青山葬儀場。
田中好子さんの告別式に参列させていただきました。
特別なおはからいをいただき、親族のみなさまと共にお棺を送り出させていただきました。
女優として過ごされた時間もまた、ご家族との時間と同様にかけがえのないものとして受け止めていらっしゃったのがわかり、ご主人の、ご家族の好子さんへの愛情の深さに強く感銘を受けました。

スーちゃん、最期まで綺麗なお顔でした。
棺にはお花がいっぱいに添えられました。
僕もいくつか添えました。
お顔の側にも手向けました。

テレビなどでも報道されていたようですが、ご主人が、あらたな田中好子の第二章が始まるのだと、カチンコを叩いていらっしゃいました。
その途端に、病床で録音されたスーちゃんの声が流れ始めました。
さすがに、知らされていない僕らは、驚き、嗚咽してしまいましたが、その声から伝わる、今回の震災の犠牲者の方々、被災地の方々への想い、また、女優を続けたいという想いの強さに心の底から感動しました。

ドラマ「正義の味方」 (2008)で家族を演じた娘役の山田優さん、志田未来さん、そしてプロデューサーの次屋尚さんらと参列させていただきました。
このドラマを収録している間はとても体調が良かったそうで、ですから、もちろん、ご病気のことは存じ上げませんでした。
役柄を越えて、本当に仲の良い家族でした。
元より、僕はキャンディーズの大ファンでしたから、いつもニヤニヤしてしまい、ファンとしては、本当にありえないような夢のような日々でした。
一方、俳優同士としても、家族みんなで自主的に意見を交わしながら、リハーサルしていたのが忘れられません。
きっと、そんな空気が、画面からにじみ出ていたはずだと思います。

プライベートでも一緒に食事したり、カラオケに行ったり・・・富士フイルムフォトサロンでやった初めての写真展や、その時のトークイベントにもランちゃんと来て下さいましたっけ・・・。
舞台「シャケと軍手」http://tetsu99.at.webry.info/200902/article_22.html にも来て下さいましたし。

「正義の味方」の打ち上げでは、優ちゃん、未来ちゃんとスーちゃんとで”中田家のキャンディーズ”を結成!
次屋プロデューサーや中嶋悟ディレクターらと共にバックバンドを務めましたが、スーちゃんの後ろでギターを弾ける歓びに、本当にうち震えておりました。
マニアックな僕は、イントロを後楽園のファイナルコンサートのギターのリフから始めたので、マネージャーさんもスーちゃんも呆れるやら、喜んでくれるやら・・・!!
「春一番」「年下の男の子」を演奏しましたが、ギターのフレーズがキマると、スーちゃんは満面の笑顔でOKサインを出しながら振り返って微笑み返ししてくれました。

スーちゃんと初めて会ったのは・・・というより、視線を交わしたのは、NHKの衣装部屋でした。
20年くらい前、たしか、大河ドラマに出演していた時。
同じシーンでの出演はなかったのですが、当然、ものすごく一方的に意識しておりました。
黒い瞳が印象的で、真剣な表情が、実はちょっと恐かったです。

当時のスーちゃんは今村昌平監督の「黒い雨」で主演女優賞を総なめしていた後で、大物女優の貫禄と迫力にタジタジとしていたのを覚えています。
けれど、僕も黒木和雄監督の「明日」で長崎に原爆が落とされ亡くなってしまう新婚の夫役を演じたばかりだったので、「黒い雨」で広島の原爆投下で被爆した女性を演じた田中好子さんのことは「キャンディーズのスーちゃん」という意識よりは、むしろ同じ俳優としてのライバル心のようなものの方が大きかった記憶があります。

その後も、同じ作品に出演していたことはあったかもしれませんが、演技を交わすシーンはありませんでした 。

はじめて共演したのは、女優の吉井怜さんの原作「神様、何するの」(2003)でした。
スーちゃんは白血病に冒される少女の母親役。
僕は原作に“佐野史郎似の・・・”とあったこともあり、病名を告げる主治医の役でした。
今、思い返せば、スーちゃんは、この時、まさにご自身が癌と戦っていらっしゃった最中であり、そのなかで、病気と闘う内容のドラマを演じるのは並大抵の精神力ではなかったと思います。
強い。
あの気迫、嘘のない演技は、それがコメディであれ、シリアスなものであれ、まさに“命がけ”だったからなのかもしれません。
そんなスーちゃんの前で、僕はいつも浮ついていたような気がします。

・・・そして「正義の味方」。
楽しい楽しい家族・・・。
軽井沢のロケでは、みんなでバーベキューして、僕のギターで「あぶない土曜日」を唄ってくれましたっけね。
スーちゃんが案内してくれた軽井沢のおそば屋さん、美味しかったね!
打ち上げのカラオケではスーちゃん、キャンディーズを唄いまくり!!
大サービスに、みんな大喜びでした。
唄い疲れて、一緒にお酒を飲みながら、ドラマの家族が離ればなれになってしまうので、ちょっとセンチメンタルにもなってしまいましたけれど。

けれど、そんなに間を置かずに、すぐに僕らは再会できました。 しかも、また夫婦役!
「てのひらのメモ」(2010)は、陪審員制度を扱ったドラマで、スーちゃんは母親の手によって子どもが虐待死したのかどうかを見極める陪審員役。
難しい役だったと思います。
ここでも、スーちゃんの持つおおいなる母性・・・とでもいうか、包み込むようなやさしさと冷静さで、思春期の自分の子どもとのぎくしゃくした関係と重ねあわせながら、ドラマ全体の空気を作っていらっしゃいました。 僕は、息子との関係を修復しようと、陰でさりげなく解きほぐし、葛藤する妻をただただ見守る父親、そして夫・・・。
「理想の夫婦だよね」と話しあったこと、忘れません。
この時も、リハーサル、本番・・・と向かうなか、ふたりで自主トレ(?)と称して、作っていきましたっけね。

番組宣伝のためNHKの番組「スタジオパークからこんにちは」に出演する予定だったスーちゃんが十二指腸潰瘍のため、急遽出られなくなったので心配していましたが、その後、お会いする機会はありませんでした。
事前に収録していた僕のコメントが放送されることはなく、スーちゃんに僕の声は届かないままお別れすることになろうとは・・・。
現場ではいつも元気そうにしていらっしゃったし、「退院したら、また会いたいな」・・・といったぐらいにしか受け止めていなかったのです。
ゴメンね。

訃報を知ったのは、韓国、ハプチョンという田舎町。
映画の巨大なオープンセットがある町でした。
韓国映画の出演シーンをすべて撮り終え、ホッとして宿に帰り、ツイッターを開けて知りました。
最初は信じられず、デマツイートであってくれと願いましたが、NHKのニュースを観て、田中好子さんの訃報を受け入れざるを得ませんでした。

実は、まだ、実感がありません。
俳優の性(さが)なのか、棺の中で眠っていたスーちゃんは、いつもの名演技を見せてくれていただけのような気がしてならないからです。
亡くなってもなお、死者を演じるとは・・・。 山田優さんと志田未来さんと「お母さんの分も生きて行こうね」と誓いあったのは、僕らもまた役を演じ続けているからだったのかもしれません。

人生とは、自分の役を全うすることだとスーちゃんから教わったような気がします。

「ちょっと悔しかったです」
仲の良い僕ら、ドラマの家族、夫婦に対して、ご主人の小達一雄さんから、僕の手を握りしめながらそう言っていただけたのが、せめてものスーちゃんに対する恩返しになったでしょうか?

映像の中で生きた僕らの時間が決して嘘ではなかったことの証として・・・。

キャンディーズのデビュー曲、スーちゃんがメインヴォーカルの「あなたに夢中」に送られて、棺を乗せた車は葬儀場を後にして行きました。
多くのファンの方々が「スーちゃ〜ん!!」と叫びながら、シンボルカラーのブルーの紙テープを投げ、アイドルでデビューした頃に時間を逆戻りさせるかのようにして行きました。
キャンディーズのファイナルカーニバル、後楽園球場の外で、ぽつんとたたずみ、漏れてくる音に浸っていたあの日が、まるで昨日のことのようです。

役者を始めた1970年代半ば、テレビ番組「見ごろ!食べごろ!笑いごろ!」に出演していたキャンディーズ、ホントにみんな可愛かったし、唄も曲もみんな良かったし、伊東四朗さん、小松政夫さんとの絶妙のコントもメチャクチャ面白かったし、もの心ついてからずっと好きだったクレイジーキャッツの流れのなかにあった、音楽と笑い・・・スーちゃんは、また、とびきりなボケっぷりだったからな〜。

昭和の1頁が、またひとつ消えていったような気持ちでも1ファンとしてはあります。

けれど、そんな田中好子さんの存在と志は、第二章でも変わることはないでしょうし、またそのことを、残された我々も次に伝えていかなければならないでしょう。

スーちゃん、本当にありがとう。

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★ドラマ「正義の味方」収録中、隣のスタジオでは「学校じゃ教えられない」に出演中の伊藤蘭さんが! こんな機会は滅多にないと、職権乱用! ラン、スー、シローのキャンディーズ2/3との記念撮影。 スーちゃんに特別にお願いしてもらっちゃいました! アリガトね・・・大切にします。

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★ドラマ「正義の味方」中田家のみんな&山田優ちゃんの彼氏役の向井理クンと。

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