橘井堂 佐野
2001年2月14日

ミャンマーの蒸気機関車3/1月28.29.30日
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★モーラミャインの泰緬鉄道公園に飾ってあったC56型の日本製の蒸気機関車。
佐野◆28日は泰緬(タイメン)鉄道の始発だった場所に行きました。南方進出時代の日本がタイとミャンマーを繋ぐ泰緬鉄道を作るために、現地の人たちが70万人も犠牲になったらしいんだよ。こういうことはなかなか教わらないからな。

―――それは、知らなかった。ミャンマーの対日感情は大丈夫なのかな? タイの方も問題なのか?

佐野◆日本に対してはイギリスの植民地支配から解放してくれたということで、親日の感じもあるけど、そのモーラミャインあたりはどうかな?
 モーラミャインに行くのにはバゴーから8時間ぐらいかかるんだよ。夕日に間に合うように急いで行って、なんとか撮影することが出来ました。
 途中に橋がいくつかあるんだけど、まだゲリラとかいる可能性があって、暗くなってからは通るなと言われてた。パーン、チャイトー、シッタンといった町を通ったかな。田舎の方に行くと家は『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪ハウスみたいに樹と葉っぱで出来てるの。

―――暗くなってから移動が出来ないなら、夕陽を撮った後は何処に行ったの。

佐野◆そこの、モーラミャインという港町に泊まりました。南国ムード満点だった。ただ、モーラミャインホテルはしょっちゅう停電してました。(笑)シャワーもお湯が出なかった。まあ、慰霊団の人は別にして、普通の観光で行く日本人はモーラミャインまで行かないだろうね。

―――次の日は?

佐野◆29日はタンビュザヤの機関区で日本製の蒸気機関車があるというので行ってみました。昔は90両ぐらいのC56型の蒸気機関車が日本から来ていたみたい。

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★泰緬鉄道の入り口に置かれた、手首から先のない日本軍兵士の銅像。
―――この銅像の写真は?

佐野◆これは泰緬鉄道で日本軍の兵士が銃をもって働かせている像なんだけど、日本の慰霊団から銃は持っていなかったという指摘があって、銃を持っていた手首ははずされたらしいんだ。だから、今はフック船長みたいになってる。

―――リアルな話しだねー。

佐野◆ここは泰緬鉄道の始発駅でもあるんだよね。C56型の日本製の蒸気機関車が泰緬鉄道公園に飾ってあった。
 そこに行く前に、機関区に行って、日本製の機関車を運転したことがあるという人に話しを聞いた。「日本製の蒸気機関車を運転したことがあるそうですね?」って訊いたら、急に「運転ショイ!」「運転ショイ!」って言うんだよ。なんだろうなと思ってたら、名前がウー・ティン・シュエっていう人だったんだよ。(笑)

―――すごいオチだなー。(笑)

佐野◆こっちが「運転手さんは」と言うたびに「運転ショイ!」って言うから変だなーと思ってたんだけどね。(笑)あれは「運転手」じゃない自分は「ウー・ティン・シュエ」だと言ってたんだね。編集でカットしないで、使って欲しいなー。すごい顔して「運転ショイ!」って言うんだもん。(笑)
 最後には「生まれながらの運転手だったんですね」という、いい話しになってたけどね。(笑)
 そのあと、いろんな町で休みながらまた8時間かけてバゴーまで戻りました。車だけど、道も良くないし、大変なんだよ。移動で一日つぶれたね。
 それで翌30日はシュエターリャウンという「ビルマの竪琴」のロケで使った涅槃像があるところに行って、父親とお祖母ちゃんの遺影を持っていき、供養をしました。

 それで、31日の朝9時に吉祥寺に着いて、ちょっと休んで昼からNHKに行き、「青春のポップス」の録りで「オハイオ」を唄ったんだけど、政治意識を刺激され、「これでいいのか泰緬鉄道!」って感じで気合いが入りました。
 EBBYがグレッチのホワイトファルコン、僕がグレッチのテネシアン。ニール・ヤングの魂とミャンマーの風景が、70年の学生運動を鎮圧した国家との葛藤と重なり合って、切なかったよ。

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