橘井堂 佐野
2015年12月3日

水木しげるさん、ありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いいたします。


水木しげるさんが11月30日にお亡くなりになった。
 最後にお会いしたのは2008年、映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』の時だったけど、今年、山陰放送で制作された『水木しげる 93歳の探険記 〜妖怪と暮らした出雲国〜』(12月6日 14:00〜14:54 山陰放送にて再放送)にインタビュー出演させていただいたので、一方的かもしれないけど、あれがご一緒させていただいた最後…という気持ちです。
 同じ島根半島、水木さんは境港、こちらは松江。出雲神話の地に育った空気は自然と身体に染み込んでいたので、水木さんの世界は自分のことのように少年時代から感じられていました。  とはいえ、そんなことも知らずに小学生の頃、少年マガジンで連載していた『墓場の鬼太郎』を読んではいたのですが…。^^”
 水木さんが境港の出身だと知ったのは中学生になって『ゲゲゲの鬼太郎』と改題され、テレビアニメでも放送された頃。
 内中原町(小泉八雲の怪談『水飴を買う女』の大雄寺の近く)にあった中学校から自転車通学での帰り道、園山書店(漫画家、園山俊二のご実家だと聞いた。島根半島には漫画の神様もいるのだ!!園山俊二も好きだったなあ)で手に取ったサンコミックスの『日本奇人伝』。その中の山田風太郎原作「大いなる幻術」は鳥取藩や浜坂温泉などの言葉が出てくるので、そういえば水木しげるは妙に山陰の匂いがするな…と思い始めた頃だった。
 もう、それからは『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』のみならず、読める水木作品は片っ端から読み、没頭した。
 小学生の頃は『小学*年生』『少年』など、月刊誌か、近くの貸本屋で漫画を読むのが定番。高学年になった昭和40年頃からは『少年マガジン』『少年サンデー』など週刊漫画にとって代わっていった。
 低学年の頃に好きだったのは横山光輝や桑田次郎、手塚治虫といったロボットやSF的なものの方だったけれど、忍者ブームもあって白土三平の『サスケ』『カムイ伝』などに惹かれていき、そこからは水木しげるや梅津かずお、古賀新一、日野日出志など、おどろおどろしい作品にのめりこんでいった。
 何度か述べてはいるが、『少年』に連載されていた「鉄腕アトム」の最終回で、アトムが太陽に突っ込んで自殺するシーンを読み、「それはないだろうっ!!!」と裏切られた気になり、本を投げつけたあたりから、本格的な水木しげるの愛読者となっていったのだ。
 『少年』『ぼくら』『少年画報』『少年ブック』などの月刊誌がなくなり、月刊漫画誌は手塚治虫の「火の鳥」などが掲載されている『COM』と、白土三平や水木しげるが読める『ガロ』となっていった。  サンデー、マガジン、COM、ガロ…漫画は子供達ばかりではなく、大学生たちのバイブルともなっていき、社会現象としてメディアでも取り上げられていたことを良く覚えている。
 そんななか、貸本漫画時代の作品も再録されたサンコミックスなどは、より水木漫画の深さに触れることができ、繰り返し繰り返し愛読した。
 『日本奇人伝』のなかの「約束」「魔石」など、ブラックウッドなど幻想怪奇作家を原作にしたものにも惹かれ、クレジットされていた翻訳の平井呈一が『吸血鬼ドラキュラ』の訳者であることにすぐに気づき、そこから幻想怪奇文学にのめりこんでいった経緯もあるので、まさに水木しげるありき!!!なのだ。
 平井呈一は小泉八雲を訳し、荒俣宏さんも平井さんの流れのなかから登場し、ラヴクラフトを世に広め、水木しげるの『地底の足音』へと循環した。
 ラヴクラフト作品のドラマ化『インスマスを覆う影』で主演させていただいたり、やはりドラマ『オカルト勘平』に出演させていただいた時には「エーリッヒ・ツァンの音楽」を引用した。また、映画『ゴジラ FINAL WARS』で神父を演じた時にはクトゥルーの邪神「ダゴン」を召喚させる呪文を唱え、ゴジラ=ダゴン説を実行し、やりたい放題だった。^^”

 こうして俳優の仕事を続けさせていただいている根っこに、水木しげるがいたのだ。
 我が師、唐十郎も水木しげるの絵をチラシやポスターに用いた『河童』で泉鏡花賞を受賞しているし、稽古場でも水木しげる作品のことは常に語られていた。唐さんが上田秋成の『青頭巾』をモチーフに戯曲にしたのも、むしろ水木さんの『青頭巾』からヒントを得ていたからに違いない。
 先日、篠原勝之さんが『骨風』で泉鏡花賞を受賞し、その授賞式に参列させていただいたが、単行本としては遺作となった水木しげる作品が『泉鏡花伝』というのも符合している。
 金沢と泉鏡花、松江と小泉八雲…境港と水木しげる…この先、世の中がどうなるかはわからないけれど、何百年、いや、もっともっと語り継がれ、読み続けられるに違いない、水木しげる。

 そんな源泉で産湯につかった僕は、俳優として、もっともっと夢と現を行き来できるような身体にならなければ…と決意する。
 「夢枕に出雲の神様が出てきて、『もっと言ってもらわんといけん』って言われたけど、アンタもそうでしょ!?」
 初めて水木さんにお会いした時、そう言われた。
 1997年、東映アニメのテレビシリーズ『ゲゲゲの鬼太郎』で「吸血鬼エリート」の声をやらせていただいた時だった。
 この時はエリートが歌う曲の作詞作曲も任せていただき、レコーディングし、CDとしてリリースもされた。
 切なく哀しいストーリーは、今でも自分の仕事の中での誇りだ。
 その後、ラジオ『オールナイトニッポン』のスペシャル番組としてラジオドラマでは「吸血鬼ラ・セーヌ」を演らせていただき、中川翔子さんの猫娘との戦いも嬉しかった。
 そしてテレビアニメの鬼太郎、ラジオドラマとも目玉おやじの声優、故・田の中勇さんとスタジオでご一緒させていただいたのも、子供の頃からの夢を叶えていただけたことのなかの大きなひとつだ。
 テレビアニメの録音は、映画やドラマなどのアフレコというと今はブースのなかに一人づつ、自分のパートだけを録音して、相手とは会わないことがほとんどだが、鬼太郎の時は、CMを挟んだ前半、後半を声優さんたちが入れ替わり立ち代りマイクの前に進み、一気に一発で録る!!
 …いやあ〜、緊張しました^^”
 田の中さんは耳に手を当てながらセリフを言うという、まるで鶴田浩二のような姿が印象的でした。

 他にもWOWOWの、京極夏彦さんの原作『巷説百物語』をドラマ化した『怪』の「福神ながし」の回では、京極さんはじめ、水木さんゆかりの文士たち、宮部みゆきさん、大沢在昌さん、脚本の山田誠二さんらと一緒に水木センセイも絵師の役で登場し、共演させていただきました。
 監督が、何度もテストをし、和紙に筆で描いた目玉おやじの絵を描き終わるまでカットをかけず、5回もテストして、あとでみんなで山分けしたのもご愛嬌!?^^”

 2003年には青森県むつ市で開かれた『世界妖怪会議』に水木御大、京極さん、荒俣さん、怪談蒐集家の木原浩勝さんと一緒に登壇させていただき、夢のよう。
 我が家は全員水木ファンなので、この時ばかりは家族旅行も兼ねてカミさんと娘と繰り出した。恐山にも水木さんや奥様、ご家族のみなさまとご同行させていただき、一番の想い出である。

 2008年の映画『ゲゲゲの鬼太郎 〜千年呪い歌〜』(12月4日、21:00よりフジテレビ系列にて放送)では遺作となった緒形拳さんのぬらりひょんや韓流スター、ソ・ジソブさんの夜叉との共演で蛇骨婆ァを演らせていただいたが、室井滋の砂かけ婆あとの対決も忘れられない。
 あの時は、またまた水木プロに取材にお邪魔したり、完成披露試写の時にも水木さんもいらしたりとご一緒させていただき嬉しかった。
 映画をご覧になった水木さんは「そのままじっとしていればいい。あんまり頑張ってはイカン」とダメだし。^^”
 映画も73点!!…と決してご満足いただけたようではなかったが、まあ、それでも、こちらも戦っていた。
 一作目の映画で、鬼太郎に両目があるので、「あれは義眼だったというシーンを付け加えて欲しい。そうすれば出演させていただく」と、僕にしてはエラク強気な発言をし、それはちゃんと反映されたので監督やプロデューサーのみなさまには、感謝、感謝!!なのでありました。
 『ゲゲゲの鬼太郎』の幽霊族の末裔として生まれた鬼太郎の出生の秘密に関わる「目玉」問題ゆえ、ここは譲れませんでした!!^^”
 『ゲゲゲの鬼太郎』は水木版『眼球譚』でもあるのだ!!!!

 映画の完成披露試写でお会いした時、ちょうど僕が写真展『あなたがいるから、ぼくがいる』を開く時で、その案内ハガキを差し上げたら、喰い入るようにご覧頂いた。緒形拳さんも。なにしろ、そこには氷詰めになった(ように見える)娘の八雲の姿が映し出されていたので。
 嬉しかったなあ。^^

 昨年フジテレビで放送された『ゲゲゲの怪談』のなかの「不死鳥を飼う男」も楽しかった。
 芥川賞受賞前の、ピース又吉さんとの共演、幻想怪奇の世界を共に生き、嬉しくて嬉しくて…文学の話も一緒に結構してました。^^
 「不死鳥を飼う男」は中学生の時、愛読していたサンコミックの『日本奇人伝』にも「鳥かご」として収録されていましたし、大好きな世界だったので…。

 想えば、小学生、中学生、高校、芝居の道を歩み始めてから、状況劇場を辞めた頃、いつもクヨクヨした時には水木さんの漫画を読んで救われていた。
 特に、唐さんの下を離れ、途方に暮れていた時、神田神保町をうろついては貸本漫画時代の稀覯本は手が出せなかったけれど、桜井文庫という、文庫版で貴重な水木作品が読める私家版のようなシリーズがあり、求めたものでした。
 そうして、映画の世界に足を踏み入れ、その映画『夢みるように眠りたい』は江戸川乱歩のような世界でしたから、幻想怪奇を映像で生きる喜びに打ち震え、ならば水木しげるや『ゴジラ』の原作者、香山滋作品も映像化できないものかと(まだ諦めてません!!^^”)手帳にラインナップをメモったりしていたのです。
 「不死鳥を飼う男」もそのなかのひとつだったので、夢のいくつかは叶ったのですが…まだまだ!!  世の中も、NHKのドラマで『ゲゲゲの女房』や戦記物がドラマ化されたりと、僕は出演できなくとも、嬉しくて、嬉しくて…。
 ドラマ『正義の味方』で田中好子さんと夫婦役を演じた時、共演者の一人にいた、まだ正直言って青白い青年…といった印象が拭えなかった向井理さんが『ゲゲゲの女房』を期に、俳優として大きく変わったのも印象的でした。
 聞けば水木さんに「ぼ〜っとしてろ」「監督の言うことは聞くな」と言われたからだそう。
 いいねえ〜!!!
 まずは、自分の身体で感じない限りは、何をやってもダメだということ…「これはいただき !!」と参考にしております。^^”

 戦記、随筆の中で好きな「蝶になった少女」、貸本時代の時代漫画、吸血鬼ものの『怪談 嘆き川』など、まだまだ映像化したい作品はいろいろあるのですが、それを楽しみに、日々の仕事を続けていかなければ…。

 戦地で、一度は失っていたかもしれない水木しげるさんの命。
 それが、こうして、日本の、世界の、多くの人々の救いになっていることの素晴らしさ!!
 水木さんの作品が、世の中の流れを、ひとりひとりの人の身体を大切にし、守られ、二度と戦争なんぞに巻き込まれることのないよう、警鐘を鳴らしつつ、笑いの絶えない世界に導いてくださるよう、これからもお願いしたいです。
 
 亡くなっても、こんなに存在している水木しげるさん。
 妖怪のひとつとして、人間が万物と共存しているのだと水木さんから教わったのですから、あの世とこの世を、これからも、自由に往来していただけますよう、これからもよろしくお願いいたします。

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★1997年、水木プロに初めてお邪魔した時。娘の八雲(5歳)が描いた鬼太郎の絵をプレゼント。 この時、八雲はチャンチャンコを着て、鬼太郎になりきってました^^"


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★世界妖怪会議でご一緒させていただいた時。
急にトウモロコシを、もひゃもひゃ食べ始めた水木御大!!


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★恐山にて。御供えの花を持って、ポーズ!!カッコイイ!!


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★「ゲゲゲの鬼太郎〜千年呪い歌〜」の取材で水木プロにお邪魔させていただいた時。


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★取材直前までお昼寝。永眠もなんか、本当に眠ってるだけみたいな気がしてくる。


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★唯一のソロ・シングル!!^^"


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★WOWOW「怪」の時のスナップ。左から山田誠二さん、佐野、水木御大、京極夏彦さん、秋本奈緒美さん、宮部みゆきさん。


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★頭を撫でてもらって、ご満悦!!^^


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★出雲のことについて、話してたのかなあ・・・?

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