橘井堂 佐野
2018年11月23日

松木良方さん安らかにお眠りください
あまりにも他界なさる方が続き、お弔いの場とも言えるような橘井堂だけれど、インターネットを始めた頃、コンピュータはまるで仏壇か位牌のようなものなのだな・・・と思っていました。
故人の思い出をいつでも振り返ることができるし、太古の歴史から現在、そして未来の予測、日々起こる事件や事故、有名無名を問わずに載せられる人々の暮らし。
かつて生きていた人たち、必ず亡くなることが約束されている今生きている人たち、まだこの世に現れぬ、けれど、確実に生まれ出ずるであろう人たち・・・そういった人たちが、このインターネットの世界では今この瞬間に生きているような気がします。
夢と現実を分けずに、今生きている人たちがアクセスする古今東西を超えた世界。
そこには生死さえ超えて生きる世界があるかのようで、霊魂とネットワークは同じものなのかとさえ思ってしまいます。
映画「スノーデン」を観たせいかな?

松木良方さんは、劇団シェイクスピア・シアターの二期生で後輩に当たりますが、年はずっと上の先輩です。
劇団創立に参加した時、僕は二十歳でした。
演劇研究所を併設しながら、一年が過ぎ、二期生として新たな劇団員として加わったのが、松木さんでした。
やはり今年他界した、声優としても大御所の俳優、石塚運昇は3期生だったかな?

松木さんは張りのある声で、男前でした。
ずいぶんと女の子にモテていたような記憶があります。
芝居も上手く、「リア王」「リチャード3世」などの歴史劇では重厚な存在感を、「じゃじゃ馬ならし」などの喜劇では、本質とも思える達観した無常感を醸し出しておりました。
劇団員の中では、一人、異質なクールさを持ち、シニカルな眼差しを持っていたような気がしています。

最後にお会いしたのは、数年前の、元劇団員たちが久しぶりに集っての忘年会。
周りを突き放したような眼差しと佇まい、相変わらずカッコよかったです。

芝居を辞め、東京を去り、故郷の松山に帰った後も、それでも芝居とは関わっていたと言います。
松木さんのことだから、そんなご自分の人生さえ突き放すような強さを持っていたのではないかと信じたいです。

演技の道を歩み始めてから色々な方々とお会いしてきましたが、会わなくても忘れられない人がいます。

松木良方さん、安らかにお眠りください。
合掌。

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★1978年 渋谷ジァン・ジァンにて。「じゃじゃ馬ならし」。椅子に座っているのが松木さん。後ろに立っているのが佐野。

橘井堂