橘井堂 佐野
2015年8月30日

風街レジェンド

先月からの2時間ドラマ連続4連投を終え、一息…といきたいところだが、もう、次のドラマに入っている。

次から次へとセリフを覚えることにばかり追われていると、いつの間にかセリフを覚えることにかまけてしまいがち。

趣旨はシナリオに描かれている世界を生きること。

単にセリフを入れる時間があったら、内容をよく理解し、あるいは描かれていることの根底を疑い、身体をその世界に置けるよう、想い巡らせていた方が良い。

俳優は、演じることが仕事ではあるけれど、演じることが目標になってしまっては本末転倒。いつも気をつけているつもりでも、それでも撮影に追われているといっぱいいっぱいで、必死にセリフを覚えてしまう。

そんなことを想っていたら、大好きなギタリスト、鈴木茂さんのインタビュー記事にハッとした。

「ギターは好きだけど、自分にとって一番大切なのは音楽」という言葉。

好きな音楽のために必要だからギターを弾く。

ギターを弾くために音楽が必要なのではない?

必要がなければギターは弾かない。

必要があろうが、なかろうが、ただギターを弾く…。

いろいろな感覚が襲ってくる言葉。

どんな表現も大切なのは、一番大切なことと向き合い、そこから目をそらさず、正直な身体でいること…真のプロフェッショナルの言葉に目醒めさせられる。

想えば、15歳の時、ロックバンド「はっぴいえんど」の音を聴いた時に、一発で心と身体を鷲掴みにされたが、その訳など、どう説明して良いかわからなかった。ただ「この人たちは信用できる!!」ということだけだった。

鈴木茂のギターの音は、最初はそりゃあジミ・ヘンドリックスやクリームなどの洋楽ロックの音を模したものだったかもしれない。そこに「日本でも、こんな音が出せるんだ!?」と感激していただけかもしれない。だけど、単にリフや音質をコピーしようとしていたギタリストなら他にいくらでもいた。

 “洋楽のロックギターのように”弾いている人で好きな人もいたけれど、それでもその音とはまったく違って聴こえていた。

それは、“運命的な出会い”“奇跡”と呼んでしまえばそれまでかもしれないけれど、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆といった、やはり「一番大切なのは音楽」と感じていた人たちと出会ったからだろう。

音楽のためにベースを練習し、あるいは練習しないように、やたらに弾かないようにし、歌の唄い方やコード展開、構成を、徹底的に研究し体得し、なおかつ必要を感じなければ、自ら音楽を演奏することを辞めてまでも音楽を愛する。ドラムを叩くことを辞めてまでも音楽を愛する。作詞家としての道を極めた松本隆さんは「言葉」を「音楽」として提示する。

その純粋な姿勢は最初からはっきりと示され、そこに打たれたのだろう。

お手本としたのが、単に目先の洋楽、ロックのサウンドや歌詞ばかりではなく、日本語を母国語とし、それぞれのメンバーの育った土地と離れることなく、戦前戦後、いや明治維新、古来から先達たちが生み出してきたこの国の音楽や文学、あらゆる表現をも、その流行中のサウンドと並列に捉えてそれぞれの肉体に染み込ませていったところに共振したのだった。

当初は無自覚だったかもしれないけれど…いや、確信犯か!?

同じように格闘していた人たちと同時代を生きていたのも事実。

意識はさせられていただろう。

あの時代、同様に斬り込んでいた、ムッシュかまやつ、加藤和彦、岡林信康、早川義夫、遠藤賢司、高田渡…といった孤高の音楽家たちの存在も、鏡として、実は前人未到のロックバンドの登場になくてはならなかったはずだ。

大瀧さんは遠藤賢司さんの歌唱法を参考にし、細野さんは高田渡さんの唄い方に自分の歌唱スタイルを見つけたというし。

さらには、中学、高校、大学…と、共に「音楽が一番大切」と感じる友人たちにも恵まれていた。

林立夫、小原礼、高橋幸宏、柳田ヒロ、小坂忠…もっと、もっと。

東京という地方都市という感覚は、やがて「風街」というキーワードを生んだ。

「はっぴいえんど」が解散し、細野さんと茂さんはキャラメル・ママやティン・パン・アレイでしばらくは活動を共にしていたし、その後テクノサウンドを確立したYMOで世界的にも評価され、社会現象となった。大瀧さんもナイアガラ・レーベルを立ち上げ、名盤“A LONG VACATION”を大ヒットさせ、歌謡曲の世界でも作曲家としてヒット曲を放った。そしてそこには歌謡曲の作詞家としてヒット曲を続々と放っていた松本隆さんの存在があった。細野さんも音楽のスタイルを変化させながらも、歌謡曲でも名曲を産み落としてきた。

リアルタイムでそれらの経緯を、共にファンとして過ごしてきた者としては、「この人たちは信用できる!」という思春期の感覚に自信を得ていた。

多くの人に最初から評価されていたわけではなかった「はっぴいえんど」。

だからこそ、想い入れも深いのかもしれない。

松本隆さんの作詞家生活45周年を記念し、「風街レジェンド」というコンサートが8月21日、22日と有楽町の東京フォーラムAで開催された。

「風街」というキーワードは、松本さんが歌謡界を席捲していた頃には耳にすることは少なくなっていたが、松本隆さんの作詞家30周年記念のライブや、松本さんのホームページ「風街茶房」などで再びファンの元に届くようになった。

いわずもがなの「はっぴいえんど」の名盤「風街ろまん」を通して、「風街」で暮らすようになった人たちの住民票はその後ずいぶんと増えたかもしれない。

30周年記念のライブ「風街ミーティング」は渋谷のON-AIRで開催され、どちらかというと歌謡曲より「はっぴいえんど」の世界に近いメンバーで構成され、私にもお声をかけていただき「ちぎれ雲」「指切り」を演奏した。(you tubeより

HP「風街茶房」で対談させていただいたり、松本さんとのご縁も深まった。

高校時代、松本さんの歌詞を通して、現代詩人たちを知るようになったし、確かに「はっぴいえんど」のメンバーのなかで松本さんの影響は大きい。

大瀧さんとも年に一度は必ずお会いしていたが、その時にも「よっ、松本派!!」と冗談交じりにからかわれたものだ。

その後、松本さんの集大成ともいうべきCD-BOX「風街図鑑」もリリースされ、「はっぴいえんどBOX」もリリース。オリジナルアルバムやアウトテイク、ライブ音源など、ファンにとっては涎モノ!!おまけに、私は他のアーティストのバッキング音源集の選曲を任された。今年はあらたにリマスター盤もリリースされたし、実は常に現在進行形の「はっぴいえんど」「風街」だったのかもしれない。

そして松本隆作詞家45周年記念としてアルバム「風街であいませう」がリリースされ、様々なアーティストたちが松本隆の世界を唄い、朗読した。

更には、残念ながら他界してしまった大瀧詠一さんはいないけれど、細野晴臣、松本隆、鈴木茂という「はっぴいえんど」のメンバーによる新曲「驟雨の街」まで用意されていた。

「驟雨の街」は、はっぴいえんど解散直後に細野さんに書かれたもので、タイトルはそのままに、発表されずにいた作品がベースになっているそうだ。

奇跡的に細野さんのところにあったデモテープが発見されたところから、今回の「レジェンド」が浮かび上がってきたというわけだ。
…これが、いいんだよね〜。

40年以上経った音源と並べても違和感なく、現在と過去を相互に行き来できるような音。

新しくレコーディングしたのではなく、未発表音源が発見!!…と言われても分からないくらい。

さて、そして45周年記念コンサート「風街レジェンド 2015」

コンサートの内容やセットリストはサイトをご覧いただくとして、2日間の「レジェンド」に足を運ぶことができ、いまだ余韻から醒めやらぬ。

初日は2階席最前列。

ステージが近く感じられる。

2日目は、ドラマの撮影があって3曲目からの参加だったのが悔やまれるが、席は1階、ありがたや。…まず、自分の仕事をちゃんとやらなきゃね^^”

客席が暗転し、紗幕スクリーンに「風街ろまん」のジャケットが映し出される。

「夏なんです」のイントロが始まり、鳥肌が立つ。

30周年の時に3人が登場した演奏は、「風をあつめて」「明日天気になれ」だったかな?でも、あの時はヴォーカルはゲストミュージシャンたちが担当していたので「はっぴいえんど」のバンドとしてではなかった。

いや、今回だって大瀧さんがいないから、正確には違う。

林立夫さんのドラム、吉川忠英さんのアコギのサポートもあったし。

でも「風街ろまん」のジャケットが映し出され、大瀧さんが「いない」ということが「いた」ことを浮かび上がらせ、結果、「はっぴいえんど」の演奏となった。

茂さんの「ギターと音楽」の話と重なる。

生前、大瀧さんは僕と「はっぴいえんど」の話になった時、「そんなバンドにいた覚えはない」と一度おっしゃった

「そんな過去は忘れてしまいたい」ということではない。

「いなかったという、いかたがある」という禅問答のような会話だった。

「夏なんです」、松本さんは緊張していたように見えた。

リズムが乱れそうになるところもあった。

でも、良い。

素晴らしい。

あのスネアの音とタイミングは誰も真似ができない。

バンドだ。

「はっぴいえんど」の再結成が目的ではなく、一曲のデモテープの発見から「はっぴいえんど」というバンドに導かれてしまったのだ。

ベースを弾きながら、細野さんが唄う。

以前、NHKのテレビ番組「細野晴臣 イエローマジックショー」で3人が演奏した時は細野さんはギターだった。

夏に「夏なんです」。

気がつけば、もう秋の気配。

2曲目、「花いちもんめ」。

鈴木茂さんとは、僕のバンドで何度かご一緒させていただいたし、その時にも「花いちもんめ」は欠かせなかった。

後半に、もう一度登場し演奏した「砂の女」や、南佳孝さんとの「ソバカスのある少女」も以前ご一緒させていただいたが、普段、演奏し慣れているはずの同じ曲が、やはり「はっぴいえんど」のメンバーで演奏されると違う!!

3曲目、「はいからはくち」。

「はいからはくち」のアレンジは色々あったけど、もちろん「風街ろまん」のヴァージョン。ロックバンド全開のギター、ベース、そして松本さんのドラムソロが光るナンバーに、オープニングから風街世界に観客は酔いしれた。

大瀧詠一のヴォーカルの代わりはナイアガラ・トライアングルのメンバーから佐野元春さん。

元春さんは中盤にも、伊藤銀次さん、杉真理さんと一緒に「A面で恋をして」を。銀次さん、杉さんの「君は天然色」はナイアガラを代表して唄われ、その後も稲垣潤一さんの「バチェラーガール」へと続いた。初日は鈴木雅之さんが「Tシャツに口紅」「冬のリヴィエラ」を唄ったし、大瀧詠一追悼の想いも強く重ねられていたコンサートだった。

「はっぴいえんど」ファン、ナイアガラ・ファンにとっては堪らないセットリスト。加えて、「風街バンド」と銘打たれた演奏者たちは、大瀧詠一“A LONG VACATION”“EACH TIME”などでお馴染みの超豪華メンバー!!

バンドマスター、アレンジの井上鑑/key、高水健司/b、今剛/eg、松原正樹/eg、吉川忠英/ag、林立夫/dr。コーラス、パーカッション、菅、弦…のメンバーたちと一体になって、まさしく時を超えたバンドだった。

吉田美奈子、矢野顕子、南佳孝…そして、実は作詞者としては誰よりも早くにその言葉を唄っていた、細野晴臣、松本零(隆)、柳田ヒロらと共に日本のロック黎明期を切り開いたバンド、エイプリルフールの小坂忠!!

キャラメル・ママ、ティン・パン・アレイと共に歩んだ仲間たちの姿が嬉しくて、嬉しくて…。「しらけちまうぜ」…そして2日目にしか唄われなかった小坂忠さんの「流星都市」のメロディーは、エイプリルフールの“Tanger”と一緒だったしね♪

矢野顕子さんはアグネス・チャンを、吉田美奈子さんは薬師丸ひろ子さんと松田聖子さんを唄ったが、これが、スゴイのなんのって!!♪♪

ところで、今回のコンサート、実は、いわゆる歌謡曲の女性アイドルたちが素晴らしかった。2日目の安田成美さんをアイドルといっていいのかどうかわからないけど「風の谷のナウシカ」には涙。早見優さん、石川ひとみさんのひたむきさに打たれ、斉藤由貴さんの「卒業」のまっすぐに、ただただ歌うことだけに集中している姿に感動、また涙。太田裕美さんの「さらばシベリア鉄道」は、大瀧さんのことも浮んで…ではあったかもしれないけど、「伝えておくれ」で涙止まらず。

原田真二、桑名正博を継いだ美勇士のお二人はロックとポップスを超え、大橋純子、山下久美子、EPO…女性陣もソウルやポップスといった背景をどう歌謡曲というジャンルのなかで自分の世界として提示するのかと、決して懐メロではなく、今の歌としての言葉に神経を張っていた。

テクノ、イモ欽トリオはなんと「ハイスクール・ララバイ」をフルコーラス !!会場を沸かせたし、中川翔子〜ショコタンも正統派のアイドル歌手だということを示し、この時代における純潔アイドルの姿が頼もしかった。まっすぐで、本当に素晴らしかったです!!

寺尾聡さん、2日目の水谷豊さんの登場でも会場は大人の空気に本当にほころんでおりました。

想えば、「はっぴいえんど」って、最初からアンダーグラウンドやサブカルなんかじゃなく、芸能の王道なのではないかと思ってしまいました。

陰陽、メジャー&マイナーとかいうものの捉え方じゃなく…神事としての芸能の空気を感じたのは思い込みが強すぎるでしょうか?

…2日目の最後はユーミンが花束を松本さんに渡すサプライズもあり、豪華、豪華!!

最後、ふたたび「はっぴいえんど」の3人が揃い「驟雨の街」を。

次にこの演奏を聴けるのはいつだろう?

パンフレットを読むと、細野さんにはすでに「エスプレッソ」という詩が渡されてあるそうで、個人的には3人でアルバムを作るべきだと思う。

曲は「驟雨の街」「エスプレッソ」…あと、「はっぴいえんど」時代にレコーシングしてなかった茂さんの「ちぎれ雲」があるし、クミコさんに書き下ろし、細野さんが曲をつけた「ままごと」も入れるべきだと思う。

松本さん、この曲が出来た時「“はっぴい”してるでしょ?」って言ってたもの。

これで4曲でしょ?あと、やはり「はっぴいえんど」の時に、細野さんに曲をつけてもらったけど未完成の「めざめ」もある。
夢はまだ終わらない。

ラストは全員で「風をあつめて」。

細野さんの代表曲といってもいいこの曲が、近年のソロのコンサートで歌われることはほとんどない。

いつだったか、九段会館でのコンサートで、細野さんがライブ活動を再開し始めた頃だった。「風をあつめて」を演奏するのだが、何度やってもうまくゆかない。

松本さんの歌詞とメロディーが、僕もライブでカバーしたことがあるので分かるのだけれど、ブレスしにくいのだ。レコーディングの時は、歌を分けて録っているので可能なことも、ライブでは難しいことがある。きっとそれだ。1973年の解散コンサートのライブ音源を聴いてもそれはわかる。

細野さん、矢野顕子さん、吉田美奈子さん…みんなで唄い、幸せなフィナーレ“HAPPY END”でした。

大瀧詠一さんはもちろん、松本さんのスタッフとして、編集者として片腕となっていた川勝正幸さんも、きっとこの日ばかりはあの世から駆けつけて楽しんでいたに違いありません。

バックステージもそれはそれは賑やかでしたよ!!

「ゆでめん」のプロデューサー小倉エージさんのお姿はじめ、みんな集まり、こういうお祝いはなかなかないだろうなあ。

(おまけ)

翌日、高橋幸宏さんの夢の島での野外フェス「ワールドハピネス」にも行って、10代からの、好きな人たちの音にまみれてシアワセでした♪

初めてLove Psychedelico観たけど、気持ちよかった〜。

ユキヒロさんもバンドメンバーと一体となってロック!!してらっしゃいました。もちろん、META FIVEもよかったです。JAPANの土屋昌巳さんや(^^”)、Contrversial Sparkの鈴木慶一さんもギター弾いて、こちらも豪華、豪華!!でした。^^

それにしても、この数日間で続けて、林立夫、松本隆、高橋ユキヒロのドラムを聴けたとは…世界は終わらないだろうなっ!?^^”

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★風街レジェンド」バックステージ。リハーサルから写真を撮り続けた安珠を囲んで寺尾聡さん、水谷豊さんと。
俳優、そして音楽を愛する大先輩たちの姿、嬉しいなあ🎶

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