橘井堂 佐野
2015年2月7日

川北紘一監督おつかれさまでした。そして特撮の魂よ永遠なれ‼︎


2月7日、東宝撮影所第6ステージにて川北紘一監督のお別れ会が行われた。
昨年12月5日、肝不全で亡くなられた。享年72歳。
お別れ会、発起人のおひとり、東宝株式会社代表取締役社長の島谷能成さんもおっしゃっていたが、今の時代にしては亡くなられるにはまだまだお若すぎる。
特撮監督としては先輩にあたる中野昭慶監督のお話しでは、元々あまりお酒は飲める方ではなかったけれど、とにかくみんなで特撮について映画について語りあうのがお好きで、みんなを集めては度々宴を開いていらしたそうだ。

川北監督とは2008年に日本映画専門チャンネルにてゴジラ作品全28作ハイビジョンデジタルリマスター版一挙放送された折、特別番組として放送された「ゴジラが来る!」のゲストに大森一樹監督とお越しいただいた時にお会いしたのが最初だった。90年代の平成ゴジラシリーズでは「ゴジラvsビオランテ」「ゴジラvsキングギドラ」「ゴジラvsデストロイア」など大森一樹監督、脚本作品で活躍なさった川北監督だったが、正直に言うと、公開当時は距離を置いて観ていたように記憶する。エンターテイメント性が高く、第1作目に立ち返らなければ・・・と思っていたり、自分自身が参加したかったとの想いも強かったからだろう。けれど、昨年、またあらためて全作品を観直した時、川北紘一=大森一樹コンビの丁寧かつ豪快な世界観にうなづくばかりだった。第1作目の香山茂の原作世界を踏襲した古生代の動植物や結晶世界を現したり・・・キングギドラでの太平洋戦争における南の島での決戦、ゴジラの出自、日米関係を象徴してみせたゴジラの姿・・・。

最後にお会いしたのは昨年11月の伊福部昭生誕100年祭のコンサートで。
まさかひと月も経たないうちにお亡くなりになるとは思ってもみなかった。
「じゃ、また!」とご挨拶いただいたのが最期になってしまった。
あれから日本版ゴジラ制作の発表がなされ、直接参加なさるにしろそうでないにしろやるとなれば色々とアイデアもおありだったと思う。それは僕としても同じこと。みんなでゴジラのことを真剣に考えて向かっていきたいのだ。
川北紘一監督は亡くなられても、お別れ会にいらした宝田明さんややはり発起人の中野昭慶監督ら先輩たちもまだまだお元気だし、特撮魂は若い世代にも確実に受け継がれていると感じる。
このお別れ会は、みんなのゴジラ愛、怪獣愛、特撮愛を確認しあう場として川北紘一監督が招集してくださった形となった。
次なるゴジラに向けて。

発起人のおひとり、90年代以降のゴジラシリーズのプロデューサーでもいらした富山省吾さんから、川北紘一監督の心に残るお言葉をご紹介いただいた。
「特撮は縮尺を小さくした実写である」
虚構を捏造しているのではない。
実際にある造形物を写し取り、虚構という事実を呈示するのだ…ということか?

会の最中、川北監督の恩師、円谷英二監督撮影の、使用されなかった破棄フィルムを用いた、若かりし頃に川北監督が編集した習作が4本上映された。
どれも短いものだったが、編集のなんたるかをはっきりと呈示なさっていた。
その特撮愛に打たれ、涙した。
ゴジラとミニラが寄り添うカットがあり、それは円谷英二監督と若き川北紘一監督が寄り添うように見えたと、富山省吾さんがおっしゃった。
確かに指導を受ける者の愛が、そこには映し出されていた。

次に伝える…あらゆることの真髄はそこにしかないのかもしれない。
伝わらず、失われて初めて知ることも含めて。

川北紘一監督の特撮愛、次なる世代に受け継がれていくことを願うばかりです。
特撮魂よ永遠なれ‼︎

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★川北紘一監督、モスラに見守られ旅立たれました。さようなら…そして、その魂よ、永遠に。


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★祭壇の横にしつらえられたゴジラのセット。モスラ、ゴジラに見送られた川北監督…ゴジラもちょっと寂しげ。


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★東宝撮影所の壁画。次なるゴジラはいかに吠えるのか⁉︎川北監督、円谷英二監督と共にあちらから指令を‼︎そして、見守っていてください‼︎


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