橘井堂 佐野
2015年11月13日

食の記憶 金沢(改訂版)

今年は本当に金沢に縁がある。
9月に続いて、またもや金沢が舞台のドラマに参加。
で、9月に訪れた時に出会った喫茶店、ヒッコリーに再たお邪魔した。
ここの、復活した金沢の伝説の「太洋軒の焼き飯」とご自宅の井戸水で淹れたコーヒーを、どうしてもいただきたくて。
で、ご主人とお話してたら、前回おうかがいしたお話のなかの事実関係を間違えていたところがあったので、写真も加えて改訂版を出します。
ご一読下さいませ。
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9月前半に撮影していたドラマの金沢ロケ。
タクシーの運転手さんは、金沢はどこも美味しいけど、お寿司屋さんは高いので、おでん屋さんがオススメだと言っていた。
おでん、お刺身、串カツ、焼き鳥…なんでもあってお手頃の値段。居酒屋さん…てことかな?
駅近くのホテルだったので、飲食店街に繰り出すのがおっくうな時はホテルの和食屋さんで済ませた。
白魚の唐揚げ、白イカのお刺身など。
味は…うん、美味しかった…バラエティ番組の食レポのようなリアクションはしないけど。
まあ、…はい。

ある日、金沢の雰囲気を味わいたいと、飲食店街で知られる町に一人で繰り出した。
昭和レトロな雰囲気の一角。
焼肉や焼き鳥、ロックバーもあるし、目移りしてしまう。
笑い声が響き、賑わっているお店に惹かれたけれど、ひとりで入るにはちょいと勇気がいる。
自意識過剰^^”
…で、空いてる店のカウンターが暖簾ごしに見えたので、くぐり、座った。
瓶ビール。
ちょっと緩い。
お通し用の煮物の味見を、オヤジがお玉に直接口をつけてし、そのまま鍋にお玉を付けた。
嫌な予感。
…いや、金沢に恨みはないですからね!!^^”
お通し、お揚げと菜のものが、なんだか溶けてる。
味は言うまい。
お刺身を頼む。
壁の品書きに「鯵の刺身」とあったので、頼むと「高いから仕入れしなかった」と。
ならば、なぜ品書きに載せる?
で、サワラを頼んだ。
「サワラ?」と、オヤジが躊躇するので、またこれもないのかと、刺身は止めにしようと「サワラもないですか?」というとオヤジが答える。
「あるよ」
なんだよ。
お刺身なのでビールから日本酒。
冷酒を頼むと「高いよ」と。
1合瓶が1400円。
お刺身、発泡スチロールのケースのなかをゴソゴソ。新聞紙に包まれている。
出てきたお刺身は、なにやらぶつ切り状態。
表面がなんだかうっすら光ってる。
噛み切れない。
しかも、なんだか舌がピリピリする。
「ごめんなさいね」と言って、早々に退散。
後に、タクシーのなかでマネージャーにその話をしたら、運転手さんが「どこですか?その店」と。 観光の街で、食べ物のことは自分のことのよう。
そのオヤジの店を後にし、「刺身は止めにして肉!!」モードになる。
またもや懲りずに路地裏を彷徨い、今度は失敗しないように…と、神経張り巡らせ入った店は、様々な部位の肉を、メニューにはなくとも、一人用の量にしつらえてくれたり、サービスもよく、ハウスワインもとても美味しかった。
まあ、こんな経験も、旅の楽しみのひとつ。
どんなことも楽しまなきゃね^^”
腹を立てたら、せっかくの旅がつまらなくなってしまう。

さて、ここからが本題。
ロケは、ちょうど秋雨前線と台風がふたつも接近していたので、連日雨。
それでも、雲の流れの合間を縫ってなんとか撮影できた。
ロケバスのなかで雨が上がるのを待って待機中。
窓から雰囲気の良さそうな喫茶店の看板が見える。
「ちょっと喫茶店行ってきます」と、マネージャーに伝え、入った店は「ヒッコリー」

美味しそうなお店は、わかる。
じゃ、不味い店もわかるだろって?^^”
ジャズが流れていて、コレクションのCDもかなりある。
LPレコードも棚にズラリ。
ジャズ喫茶といっても良いくらい。
メニューを見ると、すぐに目に止まった品書きが!!
「40年ぶりに復活。太洋軒の焼き飯」。
すぐにお店のお母さんに、経緯を訪ねる。
厨房の奥には息子さんが。
聞けば、ヒッコリーは街の区画整理に伴い、平成元年に現在の片町に移転したという。
ご主人、水野弘一さんは三代目。
三代目というのは、お家が三代目…ということで、喫茶店を始めたのは弘一さんから。
喫茶店を始める前は家業のクリーニング屋さんを営んでいらっしゃったそうだ。
二代目のお父様は、すでに他界なさったとのこと。

ヒッコリーのある片街、香林坊と云われるあたりは、以前は県庁もあり、大変な繁華街だったそうだ。
「大神宮」という神社があったのだが、そこはデパートに代わり、県庁も移転し、たくさんあった映画館もなくなった。
わが故郷、島根県松江市と金沢は、城下町ということもあり、どこか似ている。
小泉八雲と泉鏡花…幻想怪奇の似合う街。

その、賑やかだったこの辺りに「太洋軒」という食堂があり、そこの焼き飯が金沢では大変な人気だったのだそうだ。
太洋軒は大神宮がなくなり、その一画が区画整理されデパートが建つと共に廃業。
ところが、それから数十年が経った頃、ある日、その太洋軒のご主人とヒッコリーのご主人弘一さんが会った折、幻の味を復活させたいと、伝説の焼き飯のレシピを教わり、現在、ヒッコリーで、その焼き飯が食べられるという物語り。

松江で言えば、喫茶MGのカツ丼…伝説の天丼屋「天要」(故・日本マクドナルド会長 藤田田さんの回想録より)の白魚のかき揚げ天丼のような存在か?
食の伝説が残るところも松江と金沢は似ている。

で、その焼き飯、スパイシーでとても美味しかった!!!!
半熟の目玉焼きが乗っていて。
毎日でも食べたいくらい!!
コーヒーも、とても美味しかった…ご自宅の井戸水を使っているとのこと。
ああ、ダメだ、ヒッコリーに行きたくなってしまう。
…いや、さりげなく…なんです。
フツーの喫茶店。
なのに、こんなにも深みがあるのは、やはり、ご家族の愛情や、街に対する複雑な想いの物語りがあるからなのだと思いました。
かつて泉鏡花も、金沢に鉄道が敷かれて、街は変わってしまったと嘆いたそう。
東北新幹線が通って、金沢が身近になったのは、とても嬉しいけれど、近江市場や観光地、飲食店街の様子が変わっていく様を寂しく想う街の人たちの気持ちも察することはできる。
東京だって、オリンピックに向けて、変わってしまうだろう。

ヒッコリーを開店した弘一さんは、学生時代、東京、農大前の「シュプール」という喫茶店に通い詰めていたそうで、その名の通り、スキーが趣味の人たちが集まっていたそうだ。
シュプールのご主人はご子息をバイク事故で亡くされ、店は一代限り。
「シュプール」の看板は、ヒッコリーの店内にさりげなく置かれている。
シュプールはスキーで滑った雪の跡のこと。
「シュプール」に通い、スキーが趣味だった弘一さんが譲り受けたそうだ。
ちなみに「ヒッコリー」〜Hickory〜はスキー板に使われる「くるみの木」の意味。

失われたくない喫茶店、失われてしまった味を取り戻そうと実現させた太洋軒の焼き飯。
弘一さんの熱い想いが焼き飯から、コーヒーから伝わる。
そして、そんな想いを家族で育むお店の佇まい。
そこに亡くなられたお父様やシュプールのマスターの姿まで浮かんでくるようだ。

街の神話は、食と共に語り継がれていくのだろうか?
「古事記」だって、そうだものな。

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★ヒッコリーのお母さんとご子息。いつまでも!!!!


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★どこにでもありそうな喫茶店のメニューですが・・・。


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★歴史ある喫茶店…てな看板でもないし…。


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★金沢、伝説の太洋軒の焼き飯が40年の時を超えて復活!!
松江の喫茶MGの焼き飯も美味しかったけど、他界なさったMGのあっちゃんのお母さんが作ってたから、もう食べられない(T . T)金沢がうらやましい><


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★何気なく入った喫茶店のメニューから、街の神話へと…。


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★ヒッコリー、井戸水を沸かして淹れたコーヒーも美味しい!!


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★ヒッコリーに飾られている書。「人との出会いが大切」とおっしゃるご主人。・・・本当にそうだなあ・・・色んな人との出会いだけといってもいいかもしれない。


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★東京、農大前にあった喫茶店「シュプール」の看板。


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★どこにでもありそうな喫茶店の入り口・・・どこにでもありそうなものが、どんどんなくなっているのかもしれない。


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★ヒッコリーのご主人、水野弘一さん。これぞ、喫茶店のマスター!!って佇まいも嬉しい。^^

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