橘井堂
2013年10月26日

ドラマ「ダンダリン」に想うこと

日本テレビ系列の水曜ドラマ「ダンダリン」、同時間帯で放送されているフジテレビの「リーガルハイ」や、初回拡大放送でやはり放送が重なってしまったテレビ朝日系列の「相棒12」、また10月23日の放送ではTBSの「SPEC零」もあり、視聴率の上では苦戦中の「ダンダリン」

各局のドラマに出演させていただいているし、各ドラマに出演なさっている俳優さんたちも、プライベートでも仲よくさせていただいている方も少なからずいらっしゃるし、尊敬する俳優さんたちも年代性別を越えていらっしゃる。
また、監督さん、スタッフのみなさん、これまでご一緒させていただいた作品等、それぞれに対して想いも色々とある。
それでも、いつも、今、取り組んでいる仕事のことだけがすべてとなる。
プロ野球で言えば、各チーム間でトレードされてる感じなのかな?
ちょっと違うか・・・。
毎回が、新しく組まれる一座で、その一座は、連続ドラマでいえば3ヶ月で解散し、映画でも、その作品が終われば二度と現場ではみんな揃ってなんて会えないかもしれないという想いがよぎり、切なくなる。
一々感傷的になっていては身が持たないが、ワタクシ、よほどのオセンチ野郎なのか、いつもそう想ってしまう。
とはいえ、映画デビューの「夢みるように眠りたい」の林海象監督とは最新作「弥勒」でもご一緒させていただいたし、堂々と林組の俳優だ!!と言いたい。
先日は、我が古巣、雑司ヶ谷の鬼子母神に建てられた唐十郎率いる唐組 、紅テントでの生演奏での上映会があり、主演の永瀬正敏さん、林海象監督らと舞台挨拶にも参列させていただいた。想いはひとしおだ。
また、亡くなられた若松孝二監督や実相寺昭雄監督も「組」を強く意識させられた監督たちだ。
テレビドラマでも、TBSの「ずっとあなたが好きだった」「誰にも言えない」の貴島誠一郎プロデューサーとの作業は、あきらかに「組」の意識があった。
「ダブルキッチン」「私の運命」「青い鳥」・・・近年でも「官僚たちの夏」など、貴島組としてドラマの中で育てていただいた意識は今でも強い。
また日本テレビ系列では「凍りつく夏」や、次屋尚プロデューサーとの作業が続くなかで印象深い「アイシテル」「正義の味方」「デカワンコ」などもあり、こちらも「組」の意識を強く感じている。「組」というか「ファミリー」といった方が良いかもしれない。
「一座」の感覚。
連続ドラマの出演が少なかったフジテレビでも河毛俊作ディレクターとのサイコサスペンスドラマ「沙粧妙子最後の事件」は忘れられないし、近年の「未来日記」「リッチマン、プアウーマン」では現代の神話体系とでもいうべき切り口が魅力的だった。また、江戸川乱歩マニアの古書店主を演じさせていただいた「ビブリア古書堂の事件手帖」などにも力が入った。そうそう、テレビ東京、AKB48の柏木由紀さん主演の「ミエリーノ柏木」の斬新さには、戸惑いつつも、あらたなドラマのあり方を提示していただいたっけ。NHKのドラマでは、「坂の上の雲」や吉田茂首相を描いた「負けて、勝つ」など、立派な人物の役柄を与えられることが多いかもしれない。テレビ朝日のサスペンスドラマなどでは、もちろん、犯人!!ここは大好きな、譲れない役どころだし。^^"
実にテレビドラマというのは色々あるものだ。

そんななかで、今回の「ダンダリン」に特に強い想いを抱いているのは何故だろう?と想ってしまう。
前述のように、その時にやっている仕事が全てなのだから、当たり前なのだが、それにしても・・・である。

4話では内定切りの学生たちをテーマにした、重い内容と、それぞれの署員が抱えているプライベートなエピソードが絡み合い、シナリオもとてもよく練られていたと思う。
出演していながら、他人事のように語ってしまう感覚は、自分の役が労働基準監督署の署長という、全体を見守る立場であることとも無関係ではなかろうけれど、このドラマに自分を十分に機能させるには、よほど全体が見えていないとトンチンカンな演技になってしまうと思うからだ。
・・・いあや、まあ、もう、十分にトンチンカンかもしれないけれど。w
「仕事」とは何か?
組織と個人のあり方・・・職場、家庭、恋愛・・・そこには人間同士の交流があるので、単に契約だけでは人間関係は成り立たないはずなのに、法治国家の下では、老若男女、国籍、職業の種類、正規雇用であろうが、アルバイトであろうが、すべてのことは法の下に照らし合わされる。
そんな当たり前のことを、あらためて問い直されることに意義があるのではないか?と想うのだ。
法律がなければ、国家がなければ、家族が、職場がなくなれば、それぞれの人びとは、どう生きるのか?と。
事実、東日本大震災直後はそのような状況を想わせる状態と少なからず無関係ではなかったし、現在も東京オリンピックを控え景気の良くなることを願う人びとがいる一方、福島の原発事故汚染水問題があり、日本は世界中からその舵取りに注目を集めている。
国家がなくなる・・・などと想像することすらオソロシくなる!!
「トラブルは困るよ、トラブルは!!」が口癖の事なかれ主義のワタクシ演じるところの真鍋署長は、そんな視線の前に、公務員だからと、そうやって晒されることに対して、極端におびえているように想われる。
そして、目先の、日常の、労働基準法例の下に解決される、つつましやかな、けれども切実な案件のことに一喜一憂し、国家の重大問題を問う世界からの眼差しをはぐらかそうとしているかのようにも見える。
そのことを段田凛は知っているにちがいない。
それでも、目先のひとつひとつを、ムキになって・・・といって良いほど、愚直に取り組む。
「私は日本国民だ。そう生まれて来たことを、私がどうあらがおうと否定出来ない。私は私の親から生まれて来た、そのことを例えどうあらがおうと否定出来ない。ならば、とことん、その法律とやらを守り、親を、家族を愛しぬいてやろうじゃないか!!」と。
・・・いや、これは、あくまでもワタクシの目に映る段田凛像。
それにしても、段田凛、深い孤独を感じずにはいられない。
いったい、どのような生い立ちなのか?
どのような家庭で幼少期からを過ごしてきたのか?
ウソを嫌い、正直を旨とし、ルール違反をする者に対して厳しくその態度を表す。
自分自身に対しても。
自己と自分を取り巻く状況、環境を照らし合わせ、そこからの突破口を見つけ出す。
このドラマ、段田凛の姿を借りて、読み解く国家論か!!??
彼女が「命」を口にする時に、彼女のその眼差し、世界観がかいま見れる気はするけれど。
「国家」と「国民の命」・・・か・・・なにやら壮大かつ根源的なテーマを奥底に孕んでいるようだ。
ひょっとして戦後論か!!??
いや、これもまた、ワタクシの独断的読解。
段田凛は法令遵守を徹底するあまり、どうやら誰かを死に追いやった気配もあるし、彼女自身の命のことさえ気になる。
全ては、「命」あればこそ・・・。
失われた「命」への想いを、どう遺族の方々へ伝え、自分自身も、そのことをどう受け止めるのか。
単なるフィクション・・・として語ることのできるドラマではなさそうだ。

そんな眼差しは、古巣、唐十郎の紅テントの芝居の構造とも重ねて観てしまう。
いや、唐さんの下で俳優修行を続けていたのだから、どんなシナリオに対しても奥底に描かれている、感じられている世界を読み解こうとしてしまうのかもしれない。
その読解は師匠からの教え「誤読のススメ」の影響を少なからず受けているに違いない。しかも愚弟のワタクシ、決して万人に納得していただけるような正しい読み方が出来ているというワケでもないだろう。

労働基準監督署で働く署員たち、そこに相談に来る、理不尽な想いを抱く労働者たち。
建設会社の悪徳雇用主に不当に扱われる労働者たちや内定切りに会う学生たちなどは、いかにも紅テントのなかに出てきそうな設定だ。
紅テント、状況劇場時代なら、根津甚八さんあたりが、いちいち相談に来る被雇用者に感情移入してしまう役立たずの労基署員を演じていたかもしれない。
監督官として街を歩いていても、つい横倒しになった自転車にの錆びた車輪が気になり、お昼に食べたラーメンの後に歯を磨いたその歯ブラシで無心に磨き出してしまうような・・・。あるいは、友人と呼べるものは、狭いアパートの水槽で飼うベタという闘魚のみなので、その闘う相手を捜して街を歩き、真の友を求め彷徨う・・・など。
唐十郎、李礼仙、根津甚八、大久保鷹、不破万作、十貫寺梅軒、小林薫・・・紅テントのそんな人たちの姿がよぎる。
そこに、もしも僕も混ぜてもらえるとしたら、やはり同様に労働基準監督署の署長の役を務めさせていただきたいものだ。
・・・あれ?そういや、「黄金バット」とかで都議会議員の役とか、やったな!思い出した。

そんな妄想を抱きつつ、連続ドラマを人気俳優たちと共に作っていれば、必然、若松孝二監督の眼差しをも意識してしまう。
そういや、若松監督、実はよくテレビを観ていた方で、そこからキャスティングなどを考えることもあったとおっしゃっていたっけ。
国家に対して、単に権力の傘のもとに動く人びとに対して怒りをあらわにしてきたわけではなく、常にその成り立ちに立ち戻って考え、発言し、創作していらしたと振り返る。権力にあらがう者たちに対しても、反権力が目的となって思考停止になっている人びとに対しては容赦せず問いかけ、決してその矛先を権力者たちだけに向けることはしなかった。
その眼差しを若松監督から常に向けられていた一俳優としては、必然、法治国家のもと、法令遵守をかかげる主人公たちや、雇用、被雇用されるそれぞれの役柄の人物たちの心情にも問いかけざるを得ない。「それでいいのか?」と。
何よりも、署長役の自分の役柄に対しては、強く問いかけねばならないだろう。
「それでいいのか!!?」と・・・バカボンのパパにでさえ訊いてみたくなる!!
反面教師として、自分個人の想いとはうらはらな言葉を吐くことができるのも、俳優の特権かもしれない。
そして、三上絵里子プロデューサーはじめ、シナリオの秦建日子さん、演出の佐藤東弥さん、中島悟さんらが、法の下に、人として、人情として許せぬ想いを抱かせる案件であっても、それをすりぬける雇用側や、法の下で安然としている被雇用者たちに対して問いかけ続けているように想える。「仕事とは何か?」と。
「それでいいのか!!??」と。
それは、そのままドラマのスタッフやキャストに対しても問いかけられているのかもしれない。

そんな想いを、共演の俳優たちやスタッフの方々と交わせる現場だということも、この作品にリアリティを持たせているのだろう。 我々、俳優の仕事でいえば、「セリフは書いてある通りに言わなければならないが、言えば良いというものではない」「書かれているセリフに納得がいかないのであれば、あるいは、そのセリフを身体が実感を持って放つことができないのであれば、言わない」という強い想いを持たなくてはならないと信じる。
実際は、私で言えば、説明台詞に四苦八苦して、言うのが精一杯と言う、なんとも弁明のしようのないところもあるのだが・・・。^^"
まあ、それもこれも、演出、監督、共演者との信頼関係が結ばれていればこそ言えることで、それがないのであれば、「じゃあ、やめろ!」「できません」と、大げんかになるか、契約だけで虚しく進む撮影現場となってしまうだろう。
幸いなことに、我々は、それどころではなく、ただただ、書かれている世界を空間に立ち上げようと、現場でがむしゃらにやるばかり。

主演の竹内結子さん、松坂桃李さんは、物語りを引っぱって行く重要な役割。
私がどうのこうの能書きをいくら放れたところで、言ったからには自らそのことを実践しなければ彼らに申し訳がたたない。
労基署で共に働く北村一輝さん、水橋研二さん、大倉孝二さん、トリンドル玲奈さん、大島蓉子さん、そして社労士の賀来千香子さん、風間俊介さん。
なかなか同じシーンでの共演はないけれど、石野真子さん、西田尚美さん・・・そして、毎回の、ゲストの方々。
彼らの演技に応えるべく、こちらも心の手綱をしっかりと締め、共に、最後まで突き進まねばと、意を新たにする。

竹内結子さんとは、前にも記したかもしれないが、まだ彼女が十代の頃に共演した、家庭内暴力やイジメ問題を暑かった社会派のドラマ「凍りつく夏」から15年もの月日が経ち、さらに今回は「ずっとあなたが好きだった」「誰にも言えない」で運命を共にした賀来千香子さんとの連続ドラマでは20年ぶりの再会。主題歌も同じく松任谷由実さんということで、絆を感じずにはおられないメンバーが並んだ。そのことが、より特別な想いを自分に抱かせているのかもしれない。
また竹内さんとは、映画「チームバチスタの栄光」「はやぶさ HAYABUSA」でも、心臓外科、宇宙航空研究開発機構という、かなり専門的な分野での師弟関係を演じていた。今回も同じく、物語りとしてはかなり珍しい設定での上司と部下の関係なので、どこかマニアックな空気を共有できているのが嬉しい。
まあ、竹内さんは、ただ、黙々と職務に取り組んでいるだけかもしれないが。
その姿が、また、今回の労働基準監督官、ダンダリンの姿と重なる。

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