橘井堂 佐野
2001年8月20日

バー
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★松江のバー「バッカス」。もうすぐ閉店してしまう。
松江の寺町の交差点にある「バッカス」というバーが、2001年の11月いっぱいで、その50年の歴史を閉じる。
ご主人はもうお店に出ていらっしゃらないが、奥さんは、変わらずに最後までそのカウンターのなかで微笑んでいらっしゃった。
「バッカス」を初めて覗いたのは、状況劇場にいた1980年を過ぎたころだったと思う。
親友のアズキや、中学時代の同級生で、やはりアズキと同じく南高の写真部だったボッチたちと、帰省した際によく立ち寄っていた。
年輪を経た渋みのあるバーの佇まいは、若い頃から、老紳士に憧れていた我ら若年老人会(そんな名前の会はなかったが、まあ、そんな感じだ)の憧れで、当時流行っていた青山、麻布、代官山界隈の「カフェバー」にいた不良オジサンたちにタカって飲んでいたカクテルを廻って辿りついた、ホンモノの酒場に対する憧憬でもあったのだ。
銀座の老舗のバーは、さすがに敷居が高かったが、それでも、マキと一緒に、「機関車」だの、「樽」だの「SUZUKI」だの「ルパン」だのは覗いたことがあった(「サン・スーシ」はいつも一杯だったなあ)。
銀座の「クール」に寄るようになったことなど、つい最近のことだ。
それでも、貧乏劇団員にも、それなりの場所があって、座長の唐十郎氏ともども、阿佐ヶ谷の名バーテンダー掘さんがいた「ランボー」ではカクテル一杯250円がよく馴染んでいたはずだ。
そんな僕やマキだったから、結婚式の帰りに新婚旅行で奈良、大津、神社仏閣巡りの拠点として選んだのは奈良ホテルや、今はその形をすっかり変えてしまった琵琶湖ホテルだった。
そうした、古い、和洋折衷のホテルのメインバーにいると、若拝ながら、とても落ち着いたものだった。
箱根の冨士屋ホテルや、日光金谷ホテルも大のお気に入りだった。
仕事で地方ロケや、芝居の旅公演などがあると、どうしても古いバーを探してしまう。
京都などは、町屋の佇まいも残っているし、色々あるが、三条寺町の「SAMBOA BAR」にはよく立ち寄る。
どんな地方都市にでも、必ず一軒は、地元の蘊蓄をかたるオヤジたちを満足させるバーがあるものだ。
「バッカス」の閉店は、そんな酒文化が消えて行く前兆なのだろうか…?
なにも、洋酒店ばかりに限らない。
駅のガード下の、焼き鳥屋…ホルモン食べさせる店で、キンキンに冷えたグラスに、凍った焼酎とホッピー同じに注ぎ込むような店も、まだまだあるにはあるが、お気に入りの店が消えて行っているのもまた事実だ。
年輪を経た、渋みのあるカウンターに座って、マティニーを頼む。
ドライマティニーより、このごろは古いタイプのレシピが好みだ。
夏だったら桃とシャンパンのカクテル、ベリーニをまずは頼む。
先日、目白のフォー・シーズンズ・ホテルのメイン・バーで飲んだベリーニはウオッカが入っていたが、これは美味しかった・・・。

地元、吉祥寺にも、佇まいこそ新しいが「ジョージズ バー」というバーがある。
ここの老バーテンダー、佐伯さんはその昔、「ロッカー フォー クラブ」というクラブで働いていて、戦後の進駐軍相手のジャズメンたちで賑わうその空気を、今も身体にまとっていらっしゃるダンディーだ。
佐伯さんのカクテルやセレクトしてくださるお酒も、これまた絶品!

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★バッカスのショットグラス。
ところで、父親と祖母の新盆で松江に帰った時に、マキや弟夫婦、アズキと夢野たちと「バッカス」に寄ったが、どうやら、あれが最後になりそうだ。
マティニーを舐め、開店から50年使い続けているというショットグラスで、サントリーの角を飲む。
子供の頃、昭和30年代、父や友人達は家の座卓を囲んでは、嬉しそう薄いにグリーンのショットグラスで角を飲んでいた。
水割りなんぞはなかった。
きっと、水で割るなんていうことが、もったいなかったのだろう。
「角」は、それくらい高級酒だったのだ。
「オールド」はまだ見かけず、「ジョニー・ウオーカー」の赤が最高級で、更にその上の黒ラベルは当時で一万円はしたはずだから、サラリーマンの一月分だったのではなかろうか・・・?
父親や大人達の笑顔は、子供にとって、大いなる憧れだった。

横浜の中華街の傍にある「チェッカーズクラブ」というバーは僕とマキが状況劇場時代からお世話になっているバーだ。
古いジャズのレコードが飾られていて、その真鍮のドアノブと、重厚なドアに惹かれて、恐いもの知らずで飛び込んだ。
ああ、古いバー特有の、このワックスの匂い…。
この頃は、伺う機会がめっきり減ってしまったが、それでも、その40年を超える歴史を持つ、元々は世界中の船員さん相手のバーに寄ると、海の匂いがする。
変わらぬ時代の匂いがする。
戦後の話を山のように聴かせてくれた。
それにしても、お金もないのに、よく飲ませてくれていたものだ…。
感謝しすぎてもしきれない。
日系のハワイ出身のパパさんは柔道を教えていて、東京オリンピックで金メダルを取ったアントン・ヘーシンクを教えたこともあるそうだ。
そんな写真も飾られていて、歴史を感じさせる。
ママさんは、今、入院中と聞いた。
早く元気になってくださいね…。
「チェッカーズ」には古いお酒が色々ある。
良いお酒ばかりではなくとも、例えばサントリー・レッド…。
30年モノを飲んだが、これはイケた!
信じてもらえないかもしれないが、そんじょそこらのウイスキーは叶うまい。
シングルモルトは好きだけど、銘柄に左右されてはいけないことも、ここで再び教わった。

どうやら、バーに、父親像を見てしまうようだ。
父親という存在があやふやになりがちな現在、僕にとって、バーは亡き父親というものに出会える場所なのかもしれない。

酒の神「バッカス」よ、永遠なれ!!

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