橘井堂 佐野
2023年1月15日

鮎川誠さんのロック魂、永遠に!!

ユキヒロさんに続いて鮎川さんまで旅立たれてしまった。
時代の変わり目を感じ、恥ずかしいほどに1970年代からを振り返り、懐かしんでしまう。

最初に鮎川さんのことを知ったのはサンハウス時代だけど、当初はじっくり聴いていた訳ではなかった。
荻窪ロフトでのシュガーベイブの解散コンサートで開場を待つ間、並んでた男の人と話していて「サンハウスもいいですよ」というのが気になり、「有頂天」を聴いたのだ。
サンハウスは解散し、ライブも観たことはなかったけど(再結成の時は、もちろん行きました🎶)、シーナ&ロケッツは、デビュー当時からステージをよく観ていた。
初めてのシーナ&ロケッツのライブは、渋谷パルコ劇場〜当時はまだ西武劇場だったかな?〜で行われたエルビス・コステロ&アトラクションズのオープニングアクトで。 パンク、ニューウエイヴムーブメントの幕開けの頃でした。
学ラン姿のコステロのライブも最高だったけど、オープニングのロケッツもすごかった!!
シーナさんは、まだショートカットでね。
鮎川さんのギターは黒のレスポールじゃなくて、ホワイトのテレキャスターでした。
DEVOのアレンジの「サティスファクション」なんかもかっこよかったな・・・あまりのカッコよさに2days両日行きましたよ🎶
コステロの勢いもすごかったしね。

その後、野音やいろんなフェスとかでもよくロケッツは聴きました。
1980年に状況劇場に入団してからは、以前ほどライブには行けなくなってしまったけど、状況劇場の仲間、飴屋法水や石川真希たちと、稽古が終わった後、アパートでホント、よく聴いてました。
マキはシングルの「涙のハイウエイ」が好きで、アメちゃんも、エルボンレコードの1stを持っていたしね・・・僕は、細野さんのプロデュース、アルファレからリリースされた最初のレコード「真空パック」持ってたから、YMOなんかと一緒に、PILなどパンク&ニューウエイヴ、よく聴いてました。

最初に鮎川さんやシーナさんとお会いしたのはいつだったろう?
1992年にBHK BSで「もっと過激にパラダイス」って音楽番組の司会を寺田恵子さんと一緒にやってて、好きなアーティストと会えるから・・・っていうんでお受けした覚えがあるんだけど、それでお会いしたのが最初だったかな?
もう、嬉しくってね・・・
その頃、やはりNHKの別の番組でシナロケとセッションもしたっけ・・・「スージーQ」🎶

そういや、思い出した!!
1979年、六本木の”sexangle”ってパブでバイトしてた頃、そこで「真空パック」の業界向けのレコ発イベントがあって、その時に、控えのフロアのテーブルで、鮎川さんにコーヒー運んだんだ。
僕はミーハー丸出しで鮎川さんに話しかけて、何話したかは覚えてないけど、ミニライブもあって、カッコよかった🎶

まさか、その鮎川さんに後に曲まで書いていただくことになろうとは!!
お会いして間もなく、ソロアルバムの企画が持ち上がり、遠藤賢司さん、早川義夫さんなど、憧れの日本のロックの先駆者のみなさんの曲を入れたり、ご自身にも参加していただいたのだが、ムッシュかまやつさん、鮎川誠さんには僕の歌詞に曲を書いてくださいました。
かまやつさんには「悪いことが好き」という曲を、鮎川さんには「海と空」という曲を。
鮎川さんとのセッションは、ほとんど一発録りで、迷いのない姿勢が今も瞼の裏に残っています。
「君が好きだよ」というアルバムは、欲張りすぎてまとまりには欠けていたかもしれないけど、だからこそ、思い切ったこともできたのかもしれません。
ドラムがテンプターズの大口ヒロシさん、ベースがゴールデンカップスのルイズ・ルイス・加部さん、ギターがスパイダーズのムッシュかまやつさん、ピアノにジャックスの早川義夫さん・・・一堂に会してのセッションは、激レアでした・・・日本のロックの流れの中で、グループサウンズはやはり外せないし、1970年を境として、はっぴいえんど、ミカバンド、フラワートラベリングバンド、四人囃子、外道・・・そしてサンハウスと、確立していくまでの時間を一度辿ろうと思っていたのかもしれません。

それから何度もお会いして、お宅にもお邪魔させていただいたこともありましたっけ。

吉祥寺GBでライブやった時には、DJを依頼されて、DJなんてやったことなかったけど、ウチからパンクやニューウエイヴのレコード持っていって、かけまくって楽しかったな・・・。
鮎川さんも喜んでくださって・・・トーキングヘッズの「サイコキラー」とかね。

「佐野くんはロックやけん・・・」って言ってくださったこと、宝物です。
内田裕也さんから「サノはロックだよな?」と言われたこともありましたけど^^"
「はい」

90年代にロケッツのベースを務めていた橋本潤とは、後に、ずっと一緒にバンドできたし、フジロックにも一緒に出れました。
その潤が亡くなって、追悼のライブを渋谷のオンエアーでやった時、シーナ&ロケッツも、もちろん出演していて、最後に出演者みんなでジョン・レノンの「イマジン」を演奏したのだけど、シーナさんの横でギターを弾けたのも、かけがえのない想い出です。
そのシーナさんも亡くなり・・・
鮎川さんもいなくなって・・・
寂しいけれど、シーナ&ロケッツのロックは、永遠に響き渡り続けることは間違いないと思うのです。

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★鮎川誠さん、シーナさん、吉祥寺GBにて(2009年)


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★左から、サンハウスの鬼平さん、サノ、鮎川さん、シーナさん、橋本潤


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★DJを勤めた時。

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